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仕事で得る幸せ
あんたも日々の仕事を楽しめているかい?
本来、仕事ってのは楽しんでなんぼだって要素があると思うんだけれども、なかなか楽しいだけの仕事ってのは無いもんだ。
この点は俺も勘違いしていたんだけれども、楽しい仕事を出来ているんじゃなくて、仕事を楽しめているってのが大切なことなんだよな。
多分だけれども、その仕事の中で自分が楽しめる要素ってのをどうやって見つけ出すか。
そう言う宝探しのような感覚こそが俺たちの日々を充実させてくれるんだと思うんだ。
今回は、俺たちの身の回りの仕事について楽しむ要素ってなんなのかを考えてみる回だ。
ちっとばかり精神論が絡んでくるかもしれないけれど、付き合ってくれよな。
誰かのための仕事
当たり前だけれども、俺たちの仕事ってのは誰かのニーズに答えるものになっているはずだ。
その誰かってことに思いを馳せるってのは実のところ、俺たちの仕事への満足度を向上させる要素だと思うんだよね。
なんつーんだ?
仕事の意味とでも言うんかね?
誰かが自分の仕事で喜ぶってことを想像するのは、結構俺たちの活力をみなぎらせてくれる。
それが直接のお客様じゃなくてもいい。
なんなら、自分の仕事が仕事仲間の評価につながるってのでもいい。
ポイントは自分の仕事を役立てるヒトが直接自分を評価することはあんまり関係ないってことだと思うんだ。
単純に自分の仕事で誰かが喜んでいるって事実だけで結構満足感が出てくると思うんだ。
感覚的には「褒めてもらう」<「喜んでもらう」って感じかもしれないね。
もちろん褒めてもらうことは嬉しいに決まっているんだけれども、それよりも「自分の好きな誰か」が喜んでいるってのはその上を行く喜びだよな。
なので、自分の仕事が誰かの笑顔に直結しているって確信することは、多分俺たちが仕事を続ける上で最も大切な要素何じゃないかと思うんだよ。
手を動かす幸せ
そう言う仕事の成果についての感覚もあるけれども、実のところ仕事の作業内容ってのも俺たちに幸せを運んできてくれるものだと思うんだよ。
例えば、なにか新しい技術が自分のアンテナに引っかかったとして、それが普段やり取りしているお客様の役に立てるかも知れないってアイディアが浮かんだ時って、すげー「やった!!」って感覚があると思うんだ。
そう言う劇的なことでないとしても、ただただ自分のこなすべき作業をこなしていっているって感覚も俺たちに満足感を与えてくれる。
つまり、俺たちは俺たちが手を動かすことの意味を感じられたときに幸せを感じるってわけだ。
そして、その手を動かすってことが何らかの価値につながっているって確信を持てた時、その手を動かすって行為そのものに俺は喜びを見出しているって思うんだよね。
何らかの価値につながっているって確信した上での単純作業なら、そこには「楽な仕事をさせてもらっている」って罪悪感もなく、ひたすらにその仕事に打ち込めるって思わないかい?
誰かの役に立っているって免罪符は俺たちの仕事に幸せを感じさせる事ができる特効薬だよな。
一言で言えば夢中になれる。
コレこそが手を動かす醍醐味だよな。
誰かに頼ることで生まれる幸せ
そう考えると、俺たちは日々の仕事で誰かしらのちからに頼っているって事実も、もしかしたら別の捉え方ができるのかも知れない。
つまり、俺たちが誰かに頼るってことは、そのヒトの充実感を作り上げているのかも知れないって可能性だ。
実際、誰かに頼るってことは、その頼るヒトのことを少なからず評価しているってわけだし、頼られた方も自分の仕事の充実感を得ることができるんだとしたら、俺たちは積極的に誰かに頼る必要があるんじゃないだろうか?
頼って頼られてお互いに充実感を得る。
コレは何気に世の中を回していくことの本質に近づく考え方かも知れないと思うんだけれど、どうだろう?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは頼るべき仲間と頼られるべき仲間を手に入れることができると思うかい?