肩書と言う名札
あんたも自分の背負っている「肩書」について感情が動くことなんてのがあるかい?
俺たちが生きていく中で「あのヒトはどんなヒト」って言うのを判断する道具として肩書ってのは機能しているじゃんか。
例えばきらびやかな芸能界でも「◯◯事務所の所属タレント」みたいな肩書を背負って活動しているヒトも居るし、身の回りの仕事であっても「◯◯店の店員さん」って肩書もあるだろう。
いずれにせよ、肩書を背負っている本人も、肩書でヒトを見ている側のヒトも、この肩書というものに対して結構でかい存在感を感じているように見えるんだよな。
ところが、当然だけれどもこの肩書ってのは「そうである」とヒトの間で認識が広まっているってだけであって、物理的にその肩書を背負っている本人の体に刻み込まれたものじゃない。
「◯◯会社に勤めています」
当然だけれども、その会社を辞めてしまえばその肩書は失われることになる。
そんなふうにワリカシ簡単に安定感が揺らいでしまう肩書。
そのくせ、その存在感は無視することが出来ない肩書。
今回はこの肩書との付き合い方について考えてみる回だ。
ちっと俺たちがヒトと相対していくことについて考えておこうぜ。
芸能界での肩書
なんとなくこの肩書ってのを考えてみようと思ったのは、こんなニュースを見たからなんだよね。
柏木由紀さんって言えば、芸能界に疎い俺でも名前と顔が一致するくらいの御仁だと思うんだけれど、現状は芸能活動を続けているのも結構なしんどさを伴っている状況らしい。
似たようなことが旧ジャニーズ事務所のタレントさんにも言えるって意見もちらほら聞く。
実際、新しい事務所の名前すら決められていない状況の中で「旧ジャニーズ事務所所属」なんて肩書はこれから先も何かを生み出すのかってのはスゲー未知数だもんな。
芸能界なんて浮き沈みの代名詞みたいな業界の話だから仕方ないって意見もあるだろうけれど、少なくとも俺たちにエンタメを提供してくれた御仁たちが苦境に立たされているってニュースにふれるのは、なんとも物悲しい感情を湧き起こしてくるもんだよな。
俺たちの肩書
でね?
これってなんか寂しい話だなぁと思うと同時に、他人事じゃない話なんだろうとも思うわけだ。
よく、会社勤めを定年退職まで継続なさった御仁が会社を辞めたら人間関係がほぼ無くなってしまって、ふと人生に迷いを感じ始めちまうなんて話を聞くもんな。
「AKB」という肩書も「会社員」という肩書も同じようなもんだって感じたわけよ。
会社と言う組織に所属しているって肩書だけだと、その会社を辞めたときに肩書がなんにも無い状態に放り出されるなんてことになるわけだから、そりゃそうだってなるじゃんか。
だもんで、やれ資格を取るだの、人脈を所属している組織以外でも作り込んでいくだのといろんな工夫を俺たちはしていると思う。
なんなら、このnoteも俺の肩書の一つかもしれんわな。
なんか知らんけれど世の中のいろんなことにあーだこーだ書くヒトって感じの肩書になるのかな?
いや、その肩書が何の価値を生み出すのかってのは、まあ分からないんだけれどさ。
言いたいのは肩書と言う前提を完全に失ってしまうと、ヒトと言うのは自分が立っている地面を失ってしまうような不安にかられるって事実があるんじゃないかってことね。
個人を知ってもらえるのか
それと同時にだ。
「肩書なんかでヒトを評価するな!」なんて意見も普通にあると思うんだよね。
さっきも書いた通り肩書なんてものは「共通認識」という実態を伴っていないものなんだから、そんなんでヒトを評価したらもったいないよって意見だね。
ところが、コレには相当な難しさがあるってのが実態だと思うわけよ。
肩書ってのは、いわば自分を含む組織が実現し続けてきた「実績」につけられた名札みたいなもんじゃん。
実際、AKBが世の中に提供してきた価値ってのは計り知れないものがあると思う。
熱狂という言葉が似つかわしいと思えるほどの勢いがあったと思うんだ。
ところが、このアイドルグループと言う肩書は肩書として運用するにはあまりにも短命なものだってのがある気がするんだよな。
AKBという器に注ぎ込まれた個性はその都度AKBと言う名札を露出させていったけれど、その実態を構成するヒトは入れ代わり立ち代わりしていき、あるときヒトは「自分がその肩書に何を求めていたのか」を見失ってしまう。
ぶっちゃけ、今AKBに居るヒトの名前を一人でも挙げてみろって言われたら、俺の場合シュンってなっちまうやつだ。
同じことが会社という組織についても言える気がするんだよな。
じゃあ、だからといってだ。
個人個人のことを俺たちがサービスを受ける立場として吟味することが出来るのか?
たぶん、一人ひとりの個人に注目できる量には限界がある。
だからこそ肩書という名札でヒトを判断せざるを得ない。
それが実態だと思うんだよな。
なあ、あんたはどう思う?
それでも俺たちは「個人」を評価してもらうために何をどうしていくのが良いんだろうな?