えんとつ町のプペルのバックグラウンド
あんたも映画えんとつ町のプペルを楽しみにしているかい?
絵本のえんとつ町のプペルは圧倒的な作画と感動的な物語で俺たちを魅了してくれた。
もしあんたがまだ読んでいないなら、まずは無料公開されている内容をみてみてくれよな。
きっと感動できるから。
で、この絵本のえんとつ町のプペル。
映画版とは主人公が違うって話、あんたは知っているかい?
なに?何言っちゃってんのって?
映画の予告編でもプペルとルビッチがバッチリ主人公っぽく描かれているじゃんかって?
まあ、そうなんだけれどさ。
西野亮廣さんがそう言ってるんだからしょうがないべよ?
今回はえんとつ町のプペルのバックグラウンドストーリーについて触れてみる回だ。
ちっとびっくりするかもしれないけれど、みてみてくれよな。
絵本は映画の5分の1
まずびっくりするのが、絵本のえんとつ町のプペルは映画のえんとつ町のプペルの物語の5分の1くらいにカットした物語だってことだ。
何?うそこけって?
じゃあ、アメーバブログでの西野亮廣さんの記事を見てみてくれよ。
絵本『えんとつ町のプペル』は、あくまで映画『えんとつ町のプペル』のCMなので、『えんとつ町のプペル』で描いたのは、全体の5分の1程度です。
出典:上記サイト
ほら~。
俺らが味わい尽くしたあの絵本は物語の一部でしか無いんだ。
映画のナウシカをみて全体の物語を把握していないってのと同じくらいの衝撃じゃないか?
しかもこんな事も書いてある。
『えんとつ町のプペル』の本当の主人公は、(上の画像で煙突の上にいる)ゴミ人間のプペルでも、煙突掃除屋のルビッチでもありません。
出典:上記サイト
おいおい、俺たちは誰に感情移入していけば良いんだ!って感じだよな。
俺たちは映画「えんとつ町のプペル」を見るにあたっては、もうちっとあの物語の背景ってやつを捉えていく必要がありそうだぞ。
えんとつ町はなぜ「閉ざされている」のか
えんとつ町のプペルはえんとつ町という4000mの山に囲まれた世界だ。
海にはつながっているものの、海に出ることは禁じられている。
えんとつ町という名が示すとおり多くのえんとつから煙が吐き出されて、空は煙で覆われている。
この2つの状況。実は原因が同じ理由になっている。
なぜえんとつ町はこんな場所にあるのか?
なぜ煙で空が覆われているのか?
そのいずれもがえんとつ町を作った人物の意図によるものなんだ。
その人物の名はカルロス・レター。
彼はえんとつ町をどうしても外界と断絶させる必要があった。
なぜって?
それはえんとつ町に住むヒトたちを残酷な世界から守るためなんだ。
残酷な世界
世界の何が残酷なのか?
それは資本主義がもつ最大の問題点。
貧富の格差だ。
カルロス・レターは父親であるシルビオ・レターのある意思を継いでいた。
それは「腐る貨幣」による貧富の格差の解消と経済の活性化だ。
Lと名付けられたその腐る貨幣を使って、シルビオ・レターは彼の住む世界を変革していった。
何しろ貨幣の価値が時間経過と共に無くなっていくのだから、資産として貨幣を持ち続けることができない。
結果として、貨幣の流通量が増え、経済は活性化し、失業者は減り、結果として犯罪率が低下した。
それは、シルビオ・レターによる「お金の奴隷解放宣言」だった。
出典:上記サイト
だけれども、腐る貨幣は国家の通貨発行権という現代の資本主義の根幹に関わる力を危ぶむものだ。
シルビオ・レターは国民を混乱させたという理由で火あぶりにされてしまう。
シルビオ・レターの息子のカルロス・レターは父親の遺志を継ぎ、仲間たちと長い旅にでた。
そこで見つけた断絶の土地。
それがえんとつ町となる土地だったってわけだ。
つまり、えんとつ町は資本家たちからヒトを守るために意思を持って閉じられた世界ってことだね。
優しきゆりかごからヒトが旅立つ物語。
それがえんとつ町のプペルという物語なんだ。
そこで、ふと思う。
俺たちも様々なものから社会という枠組みに守られている。
その枠組みを飛び越える価値を俺たちは本当に理解できているんだろうか?
ルビッチとプペルが見た本当の星空。
それがあると信じて空を駆け上った二人。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは一体何を求めて外に出ていくんだろうか?