デジタル社会での生き方の言語化
あんたはスマホを始めとするデジタルデバイスと子どもたちの関係についてどんな考えを持ってる?
毎日更新仲間のりおんさんが前にこんなことを書いてくれていた。
はは~ん、そもそも条例レベルで子どものデジタルデバイス所持規制なんてのがあったんだ。
そっから知らない体たらく。
で、持つのは良いけれど、きっちり親が管理しなさいよって話なんだね。
確かに、子どもがよくわからないまま課金系のサービスを利用してしまってなんて事はこの不景気の中では致命傷になりかねないもんな。
今回は今のデジタル社会での子どもとデジタルデバイスの関係について考えてみる回だ。
ちっと子どもの未来に思いを馳せてみようぜ。
大人はデジタル社会を理解できているのか
まず、子どもにどうのこうの言う前にだよ。
俺たち大人はデジタル社会ってのをどう捉えているんだ?
そもそもだけれども、こんだけネットと生活が密着している世界観ってのは俺たち大人にとっても経験したことのない状態なわけだ。
なので、本質的に「こう言うふうにデジタル社会と対応していかないと」って答えが定量的に共有されている状況にはない。
ぶっちゃけ、マッチングアプリとかが普通に使われる状態になっているけれども、俺たちオッサンの感覚からすると「なにそのいかがわしいやつ」って思っちまう。
でも、冷静に考えるとお互いの正確やら趣味やらなんやらの情報から、客観的に「一緒にいたら幸せになる可能性が高いヒト」を探すツールってのは理に適っている部分もあるとも思うわけだ。
実際に、マッチングアプリを使って幸せになっているアベックもいっぱいいると思うしね。
#死語攻撃
マッチングアプリは一例にすぎないけれども、デジタルデバイスの向こう側に広がっている世界を俺たちは老若男女分け隔てること無く完全には理解出来ていないってわけだ。
子どもたちに理解を促したほうが良いこと
じゃあ、俺たち大人はだよ。
子どもたちにデジタル社会とどう向き合えばいいかってのを語る口を持ってないんだろうか?
多分だけれどさ。
俺たち大人が子どもに語るべきは「デジタル社会」じゃなくて「社会」何じゃないかと思ったりするんだ。
曲がりなりにも、俺たち大人は社会の中でしのいでいると思う。
そのしのぎ方は千差万別だとは思うけれどね。
だとすれば、俺たち大人が子どもに伝える必要がある情報ってのは、その「社会でのしのぎ方」なんじゃないか?
お金の使い方。
ヒトとの付き合い方。
組織の動かし方。
それらをより細分化して言語化する。
その上で子どもに分かる言葉に変換する。
おおう、実に難易度が高いぜ。
課金について考える
そう言うふうにめちゃくちゃデカいカテゴリで考え始めるから心がくじけちまうんだよな。
だったら、まずはデジタルデバイスでお金を使う意味ってのから考えれば良いかも知らん。
つまりは「そのお金を使うことでオマイは何を得るんだ?」ってことだよな。
例えば、スマホでゲームをして課金をするってことを考える。
ゲームでの課金はすべからくダメとは思わない。
「楽しい」ってのは人生において重要な要素だもんな。
問題はその「楽しい」ってのが数字に置き換えるのがすごブル難しいってことなんだよな。
対価としての「楽しい」を定量化出来ない以上、そこにいくらまでお金を使って行くのが効率的なのかってことは評価できない。
評価できない以上、「とりあえずゲームの課金やめとけ」って言わざるをえないって仕組みだ。
ただ、コイツは「正解」じゃない。
と、同時に「不正解」でもない。
例えばYouTuberのように、課金したことによってコンテンツを生み出して、そこから収益を得るみたいなわかりやすい「正解」もあると思うし、そもそも「楽しい」って感覚は嘘じゃないんだから、その感覚を追い求めるってことそのものも「悪」だって断言する理屈もない。
おおう、困ったぞ。
俺たち大人はゲーム課金という実に限定的なことですら「どうするべきか」ってのを言語化するのが難しいってわけだ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たち大人は子どもたちの未来に向けてどんな言葉を紡いでいけば良いんだろう?
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