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非接触が前提の世界での子どもたち

あんたもファミリーマートが無人店舗を2025年までに1000店舗出店するってニュースを見たかい?

これって結構なインパクトを持つ話だと思うんだよな。小売業に関わってくれているヒトの働き口が減る動きってことだもんな。

でもレジに並んで買い物をするって行為そのものに対する抵抗感ってのはニューノーマルな世界では普通の感覚になりつつあるってのも現実だと思う。

今回は買い物という日常からヒトが排除されていくってことを想像してみる回だ。

ちっと妄想が入るとは思うんだけれど付き合ってくれよな。

買い物を通じて俺たちが得ていたもの

俺らがガキンチョの頃は、まだコンビニなんて店舗形態が珍しい状況で、普通に八百屋とかで買い物をするのが主流だった。
ほら、サザエさんでの買い物風景ってあるじゃんか。
まさにあんな感じだ。

野菜は八百屋。肉は肉屋。魚は魚屋で買い物をしていた。

各々の店で「今日は何がいいよ」なんつって「じゃあ今日はブリ照りね」なんて感じで献立が決まっていく。
確実に今よりも買い物でコミュニケーションが発生するって世界観だったと思う。

駄菓子屋のおばちゃんに握りしめてきた100円玉を渡してフーセンガムとうまい棒を手に入れる。
そのときに「ありがとうね~」なんて言葉をかけてもらう。

そう言えば酒屋のおっちゃんに頼み込んで酒蓋貰いに行ったっけ。
あれもいい思い出ってやつだよな。

考えてみれば、それって子どもにとっての格好のコミュニケーション練習の場だったような気もするんだよな。

何もなければ大人との会話は親と学校の先生とくらいしかしない子どもにとって、お店のヒトとのコミュニケーションって貴重な体験だったのかも知れない。

買い物にヒトが関わらなくなる世界

そこに来てコンビニの無人化って流れが出てきているってのが今回のニュースだ。

多分だけれども、この非接触ニーズってのはワクチン接種が進んだとしても高まることはあっても無くなることはないと思うんだよね。

まあ、コンビニやスーパーで店員さんと会話することがあるのかってのがあるから、そもそも子どもたちが買い物で世の中とコミュニケーションをとるってシーンは激減しているとは思うんだけれども、そもそもヒトと会わないで買い物するのが普通になったとき、俺たちや子どもたちはどういう様に世界を認識するんだろう?

八百屋や魚屋で買い物としているときは、メチャクチャわかりやすくお店を営んでいるヒトについて俺たちは認識出来た。
一生懸命働いている姿を物理的に眺めることが出来た。

今の子どもたちはそう言う「頑張っている大人」ってのを眺めるチャンスを失ってしまっているって側面があるように思えるんだよ。

大人が頑張っている姿を見せる場所

お店で大人が頑張っている姿を見ることが少なくなっていく世界が来るとして、子どもたちはどうやって「頑張る」ことの素敵さを感じ取れるんだろうか?

在宅勤務がメジャーになることによって、仕事の姿を直接子どもたちが見る様になるのは「頑張る」を見る機会を増やすって意味ではでっかい気もする。

ただ、お店の店員さんの様に理解しやすい形の仕事じゃないケースも普通にあると思う。

そりゃそうだ。システムエンジニアの仕事について小学生が理解できるって状況を俺はどうやって作れば良いのかも想像ができない。
同じ様にどんな仕事も直感的に子どもが理解できる仕事ってなかなかない。

だとすれば俺たち大人はどうやって「頑張る大切さ」を伝えていく事が出来るのか?

多分だけれども、「真剣に取り組む」姿を伝えていくしかないんじゃないだろうか?

仕事の内容を子どもたちが理解することは難しいケースもあると思うけれど、一生懸命やっている姿ってのは子どもたちに良い影響を与えると思うんだよ。

ただ、それが家族からしか見られないって状況はいかにもまずい。
子どもたちは世界とつながる価値を感じてほしい。

なあ、あんたはどう思う?

子どもたちは非接触を前提とした世界でどうやって世界とつながっていけば良いんだろうか?

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