日常と非日常をつなぐエンタメ
NIJI Projectってキーワード。あんたも聞いた時あるかい?
あんまりテレビを見ない我が家でも、毎朝6時台の日テレだけはちょくちょく見ているんだけれど、まあまあな確率でHuluのCMが入ってくるんだよね。
で、そこでNIJI Projectってキーワードがひょこひょこ出てきていたんで、ちょっと気になっていたんだよ。
ちょこっとだけ見たんだけれど、要するにアイドルの選考風景をドキュメンタリーとしてまとめている番組のようだ。
今回はこのNIJI Projectっていうエンタメの構造について考えてみる回だ。
時代に寄り添うってこう言うことなのかもしれないな。
NIJI Projectに寄り添うファン
今回、このnoteを書くきっかけをくれたnoteがある。
それがこれね。
てぃなさんは(ビビリなオッサンは敬称を置き換えてしまうもんなんだよ。しゃあないじゃん※言い訳)自分の子供でもおかしくない年代の女の子たちがものすごい頑張っている姿に感動を覚えている様子。
実際、子供を持つ世代にとってはそう言う見方になっていくと思うよなぁ。
で、その目線で見てくると、選考をする側のJY Parkさんに目が行くってのがてぃなさんが書いてくれていることなんだよね。
このnoteの中でJY Parkさんが練習生たちに書けた言葉がピックアップして書いてもらっているんだけれども、たしかに親の立場からするとグググってくるような言葉が書かれている。
中でも自分に刺さったのはこれだったんだよね。
人の見えるところより、見えないところがはるかに大事
出典:てぃなさんのnote
おいおい、深いぞ。
この言葉一つとってもご飯三杯行けるレベルに深い。
見えないところのおっかなさ
多分、この言葉を聞いた練習生さんたちは「見えないところからキレイにしてかないとダメなんだ」くらいの認識で聞いていたと思うんだけれど、伝える側の大人として聞くと、また違う意味が見え隠れする。
なぜ「見えないところ」が大事なのか?
それは「見えないところ」は誰も指摘してくれないからだ。
ヒトは本質的に弱いもんだから、甘えってもんが普通にあるもんだと思うんだ。
で、その甘えの部分を「見えるところ」に出しちゃうと、途端に周りのヒトから「甘えてんじゃねぇ!」ってなる。それが社会ってもんだよな。
だもんで、俺たちは必死こいてその甘えの部分を「見えないところ」に押し込もうとするよな。
そう出来ると、周りのヒトは特になにも言わなくなる。
ところが、コイツがまあ曲者なわけだ。
その甘えは他のヒトからは見えないけれど、自分自身の意識の中ではキッチリと存在しているわけだ。
つまり、その甘えを自分自身で抱えながら生きていくってことになる。
そうなるとどういう事が起きるのか?
「自分は甘えを捨てきれない人間だ」
という自己肯定感を根こそぎ持ってくような認識を抱えながら生きることになる。
そんな認識で多くの人に愛されるアイドルという職業をこなせるのか?
そいつは無理な相談だ。
その事をこの言葉は伝えようとしているんじゃないのかって思ったんだよね。
試練を乗り越えたってニュース
で、そんな深い言葉をシャワーの様にあびた練習生がついにデビューって事になったらしい。
9人がデビューにたどり着いたってことなんだね。
で、このニュースに対する反応を見ていると、思ったことがある。
これって西野亮廣さんのエンタメ研究所と同じ構造だってさ。
エンタメ研究所では日々、西野さんが仕掛けているアクションの途中経過がシェアされている。
その内容が刺激にあふれる内容なので、それを読んでいるだけで楽しめるって構造になっている。
エンタメを作り込んでいる途中の状態そのものをエンタメとすることで、その完成形に対するファンの思い入れってのが半端なくでかくなるって構造。
ちょっと形式が違うけれどAKBグループの総選挙も同じ要素を持っているよな。
普段の取り組む姿勢を形にすることで、普段からの思い入れを強くするって構造だ。
俺たちは日常と非日常がシームレスにつながるってエンタメの時代を生きているのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちの日常の先にエンタメがある世界は俺たちを魅了し続けると思うかい?
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