[小説][バラッド]-序章-④
歌えないオッサンのバラッド
-序章-④
「わたしは、必要とされていないんです」
振り絞るような震える声で若い女性はそう言った。
か細いけれど、彼女なりに考えに考えてその言葉にたどり着いたんだろう。
明らかに絶望の色がその顔色に出ていた。
「学生時代は眼の前にある課題を淡々とこなしていれば、それで良かった。
でも、卒業論文とか学生時代の成果物を今読んでみると、何を当たり前のことをつらつら書いているんだ?なんて思えてくるんです」
彼女の視線がふっと手元のジントニックに落ちる。
「わたし、何も分かっていなかった。
自分の活動が、世の中の活動の一部なんだっていう、ものすごい当たり前の事をわかってなかった」
俺も、タカもトムも黙って話を聞いている。
見れば、たぶん社会人になって3年目とか4年目くらいなんだろう。
あんたにも覚えがないかい?
自分で考えて仕事する楽しさと、その圧倒的な困難さに立ち尽くしてしまうって経験ってやつをしたことをさ。
「ある時、うちの社長の肝いりのプロジェクトが発足して、そのプロジェクトメンバーに私が指名されたんです」
「誰があんたを選んだんだ?」
そう問いかけたのは、意外にもタカだった。
「そのプロジェクトのプロジェクトマネージャの風間透さんです。
あ、申し遅れました。私は小泉リサと言います」
そう言えば、俺たちは名前すら言わないでこのリサという女性の身の上話を聞いているわけだ。
「こりゃ失礼した。俺は田中、普通のサラリーマンだ。
こっちのデカいのがタカ。この見た目で探偵なんてやっているんだぜ?
笑っちまうよな。
浮気調査なんかしたら目立って仕方ないっつーの」
「うるせぇわ!俺は俺なりに工夫しているから大丈夫なの!」
実際、めちゃくちゃ手際が良いらしく、探偵事務所としては順風満帆らしい。ヒトは見かけによらないもんだ。
「で、あんたに最初に声をかけたこのヒトがトム。
ええと、仕事なにしてんだっけ?」
「まあ、俺のことはどうでもいいじゃないか。
リサさんの話の続きを聞こう」
そう言って、リサに視線を戻す。
「つまり、その風間ってヒトがリサさんの持っている何らかの能力が必要だと考えて、プロジェクトに参画させたってわけだな。
失礼だが、それまで風間さんとの面識は?」
トムがそんな質問を投げかけた。
「いえ、特には。
新人のOJT完了のときに行う成果発表会のときに、私の発表を見ていたかも知れませんけれど」
トムは「ふむ」とひとりごちて、数秒後にこう言った。
「つまり整理すると、リサさんは重要なプロジェクトに関わっている。
理由は良くわからないが自分には何かが求められていると思っている。
そして、それが自分には出来ていない。
少なくともそう感じている。
そこまではあっているかい?」
コクリとうなずくリサ。
「まあ、事実関係をこの話だけで判断するのはなんだけれど、あんた相当優秀なんだな」
俺がそんな感想を漏らした。
だってそうだろ?
入社3年かそこらで自分をそこまで客観視出来るってのは、誰にでも出来ることじゃない。
「そう思えたら良いのかもしれません。
でも、出来ないんです」
「そらまたなぜ?」
「なんと言えばうまく表現できるかわからないんですけれど、他のメンバーの作るプレゼン資料を見ていると、明らかに自分の資料と違う何かがあるんです」
「で、その何かってのがわからないからどうして良いかわからなくなってここにいる、と」
どこにでもある、それでいてどうしようもない普通の現実ってのがそこにあるように思えた。
「前のプロジェクトは規模は小さかったけれど、確実にみんなで力を合わせて前に進んでいる感覚があったんです。
でも今のプロジェクトでは自分は足を引っ張ることしか出来ていない。
もう………どうしたら良いかわからなくなってしまって」
ひとしきり話すと、リサはジントニックを一口飲んだ。
グラスの縁をすっと指で拭う。
表情は今にもまた涙が零れ落ちそうだった。
「この間も、事務所の端っこにある小さな会議室で風間さんとプロジェクトで実質的に自分の面倒を見てくれている橘さんの話が聞こえてきてしまったんです。
途切れ途切れにしか聞こえなかったんですが橘さんは私をプロジェクトの相手会社での作業を中心にした方が良いんじゃないかって言っているようでした」
さらにうつむくリサ。
その場所に、居続ける価値が自分にはないって他でもない橘さんに言われた。
その彼女にとっての事実が彼女を苦しめている。
「リサさん……あんたの話を聞いていると、こういっちゃ何だけれども、どこにでもある若者がぶつかる壁を経験している最中だってことをまずは感じるんだよ。
ただ、少し引っかかるところもある」
トムはそう言って続ける。
「だってそうだろ?そんな重要プロジェクトなら、リサさんより年次が上の経験豊富なメンバーを入れたがると思う。
でもプロジェクトマネージャの風間さんはあんたを選んだ。
何かそこに歪みたいなもんがある気がしてならないんだよな」
たしかにそうだ。
リサが登用される理由がよくわからない。
ふとトムが腕時計に目をやるのが見えた。
「21時半……か。
リサさんの話だと、風間さんと橘さんだっけか?はまだ仕事している時間だよな。きっと」
「はい、たぶん」
リサは話の展開がよくわからないまま返事をする。
「なあ、リサさんよ。
俺たちとその歪の理由ってやつを暴き出してみないか?」
つづく
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