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ものづくりを楽しむために必要なもの

あんたの仕事ってどうやって周りを巻き込んでるかね?

俺たちシステム屋はお客様をいかにして巻き込んでいくかってのが永遠のテーマってやつになると思うんだよね。

これこれこう言う理由でこう言う機能にしましょうってドンドコ設計していくわけだけれども、その設計をお客様にも「自分が考えた」って感覚を持ってもらうことってものすごい重要なことだと思うんだよね。

なぜかって?
だって、お客様が機能の仕様について愛着を持ってもらわないことにはその機能を活用してもらうことが出来ないもんな。

今回は、仕事への愛着ってやつについて考えてみる回だ。

ちっと、俺と仕事の愛着ってキーワードを考えてみようや。

過程を共有できる仕事

今回、この仕事への愛着ってキーワードを考える切っ掛けをくれたnoteがあるんだよね。

みんな大好き㈱NISHINOのインターン生まーちゃんのnoteだね。

このnoteの中でちょっと俺の感覚を刺激してくれた表現があったんだ。

成し遂げた仕事に対して「応援」していただくんじゃなくて、
仕事すること自体を「応援」していただくって、
めちゃくちゃおもしろいし、ありがたいことだなあと思ってます。
出典:上記note

これって、さらっと書いてもらっているけれど、スゴイことだよな。
本質的に仕事ってやつはやっているときは基本「過程」であって、「成果」は仕事が完了したときに発生するものだ。
その「過程」の段階からエンタメとしての意味を発生させるバーベキュー型のエンタメの底力を見たような気がする。

で、そこでふと考える。

俺たちの仕事も同じ様にバーベキュー型のエンタメに仕上げることは出来ないんか?ってさ。

システム開発はエンタメになるのか?

俺たちシステム屋はお客様と要件を決めて、設計に落とし込んで、プログラムをこさえ、テストして、リリースするってのが仕事だ。

当然のように最初の段階では「どんな機能が実現されればお客様の望む形になるのか」ってやつを落とし込んでいく作業から始まるわけだ。

その作業のことを要件定義っていう。

本来的にはお客様の望むものを形にしていく作業なので、難しいながらも楽しい作業なはずなんだけれども、その難しさ故にお客様も含めて構えちまう感覚があると思うんだよね。

なんつっても「これこれこう言うことですか?」と俺たちシステム屋が質問しても、それに答えたら「あの時こう言ったじゃないですか」って言質を取られるって思ったらおいそれと答えることも出来ない。
かと言って、答えないことには前に進まない。

お客様の立場に立つと、要件定義とか設計の工程は「責任を追わせ続けられる」期間なんだよな。

システム屋としてはできるだけ抜け漏れの内容に設計したいからありとあらゆる可能性に思いを馳せて質問をして、具体化していく。
とは言え、お客様を含めて完全にすべての運用をカバーした設計には出来ないし、そもそもすべての運用をお客様が把握できているわけもない。

結果として、俺たちシステム屋とお客様には超えがたい壁が出来上がってしまうってわけだ。

バーベキュー型のシステム開発を妄想する

でもさ?本当にこの超えがたい壁ってやつを作らずにお客様と一体になってシステム開発を「楽しむ」ことって出来ないんだろうか?

まーちゃんの仕事を俺たちが応援している様に、システム開発をお客様と実際に使うお客様を巻き込んでバーベキュー型のエンタメに出来ないんだろうか?

おそらく、システム開発という仕事をエンタメにすることに対して最大の壁になっているのが「システムを使うヒトの仕事のバリエーションに対して無理やり責任を負わされて仕様を決めるヒトが必要」っていう現実なんだと思うんだ。

さっきもいったとおり、現場の運用の全てを把握することは困難極まりないし、かと言ってシステムとして形にするためには「こう言う運用を前提にする」って決めをすることは避けて通れない。

結果としてお客様のシステム部門のヒトは本質的に果たすことの出来ない責任を負わされるというストレスに見舞われるってわけだ。

これではバーベキュー型エンタメとしてシステム開発をするなんてことには結びつかないよな。

ではどうすれば良いのか?

多分そのことに対する一つの答えが「継続的インテグレーション」ってやつだと思う。

継続的インテグレーションって言葉そのものはシステム開発の手法なんだけれども、要するに一旦システムを作って現場で運用してもらって、改善ポイントを現場から吸い上げて、それをシステムに反映し続けるって考え方だ。

コレで行けば、最初に決めた仕様だと現場のニーズにあわないことがわかったとしても、そのあわない部分を具体化してシステムを修正することが出来るから、システム部門に責任が集中することがない。

結果として、システム部門のヒトは「良かれ」を追求することが出来るってわけだ。

当然、システム開発にかかるコストは増えてしまうけれども、不要な機能を作り込むことがなくなるってことを踏まえると、行って来いになることもあるらしい。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは「良かれ」って言うものづくりの原点に立ち戻ることが出来ると思うかい?

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