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半泣きの条件

「やせ我慢かぁ」
中空をぼんやり見ながら啓二が言う。
「俺の親父の代なら、『男だろうが』とか言うんだろうけれどな。
今の世の中男女構わずやせ我慢していると思う。
男性には男性の、女性には女性の独特の悩みを各々プラスされてね」
啓二は神妙な面持ちで言う。
「仲間のために……ですか」
「そう。この仲間には部下、上司、顧客、友人、恋人、自分に関わるすべてのヒトが含まれる」
「きちーっすね」
「間違いない」
俺は笑って答えた。

「例えばタカを見てみろよ。
このゴツい体つきは仕事を続けていくためにいざという時に備えるために作り込まれたもんだ。
ヒトの闇の向こうにヒトの幸せがあると信じてな。
それもやせ我慢の形の一つだ」

タカが笑いながら言う。
「まあ、半分趣味だけれどな」

俺は続けて言う。
「三田さんもそうだ。
本当なら三田さんは現場で顧客のために考えて、顧客のための作業をしたいはずだ。
でも、いま三田さんが顧客と触れ合う時は部下の失敗を謝罪するときだけときている。
これもやせ我慢だな」
三田さんは苦笑いを浮かべる。
「たしかにな」

啓二の仕事

「なあ、啓二。
そう考えると、今の啓二は実に幸せな状況にあるわけだ。
顧客の笑顔。
仲間の笑顔。
それを作り出す直接的な手段を講じることが出来る立場だ。
もちろん煩雑な仕事もある。
顧客への報告。
上司への報告。
メンバーへの意識付け。
数え始めたらきりがないほどだ。
だから俺がフォローする。
笑顔だ。仲間の、顧客の、上司の笑顔。
それを作り出すことを目指すことを第一の目標にしてみろよ」

少し考え込む啓二。
「田中さ……違う、健一さん。
俺はどうしたら健一さんを笑顔に出来ますか?」

おっと、しまった。
予想しておくべきカウンターだ。
どうも、俺は俺に興味がないらしい。

「俺かぁ。今俺は笑顔になってるつもりなんだが、そうは見えないか?」

タカが言う。
「まあ、本心からの笑顔じゃなくて、道具としての笑顔ってやつだろうな」
また辛辣なことを言ってくれるぜ。
啓二も言う。
「健一さんが事務所で仕事してた時は、いつだってしかめっ面でした。
プロジェクトが完了したときも、ずっと」

そんな風に見えていたのか。
まあ、同時並行でプロジェクトが進んでいる事が多かったからなぁ。
そのプレッシャーでこわばった表情になっちまってたのかもしれない。

「そうだなぁ。俺はひとりのときにしか言っていなかったかもしれないけれど、魔法の言葉があるのさ」

啓二がはてなを頭の上に浮かべる。

「『おもしれーじゃねぇか』さ。
そうしてニヤリとする。
考えてみれば、それを一人の時だけにするのはもったいなかったかもしれないな。
例えば啓二がメンバーと一緒の場所で課題を共有するタイミングってのがあると思う。
ひと目見てメンバーの誰かが原因だとする。
そして、それが手塚さんの課題だとする。
その課題表を見て、手塚さんに指摘をしないといけないとする。
その時だ。
『おもしれーじゃねぇか』とつぶやく時は。
メンバーに聞こえるようにね」

啓二は固唾を呑む。

「メンバーにとっては、『このヒトはなんとかしようとしている』と考えるだろうし、手塚さんの様な大ベテランに指摘する覚悟も出来ていると見せることが出来る。
そこにチームワークの力が発揮される。
啓二。
今のお前はそういう立場にある。
そういう行動を啓二が出来たとき、きっと俺は道具としてではない笑顔を浮かべると思うぜ。
半分泣いてるかもしれないがね」

三田さんも言う。
「俺も半泣きになるかもな」
「お互い年齢を重ねてきたもんすね」
「違いない」

タカが言う。
「少なくとも二人のオッサンがだ。
啓二の成長を夢見てるってこった。
そしたら、やることは分かるだろ?」

「見て、考えて、会話して、行動する。
そういうことですね」
「大正解。少ない時間しか話を聞いてないが、啓二には出来るんだと思うよ。
少なくともこの二人はそのことを信じてる。
そのくらいは分かるさ」

「信頼されている……ってことですか」
「ああ、ならやることはその信頼に応えることだろ?」
「はい」

そう応えて、啓二は言った。

「今日は帰ります。少し自分の中で考えをまとめたいんで」

「おつかれ。根詰めるなよ」
俺がそう言うと「はい」とだけ返事が来た。
こりゃ、根詰めるパターンだな。

まあ、そういうタイミングもあっていいだろう。
俺はそう思ってI.W.ハーパーを一口飲んだ。

#歌えないオッサンのバラッド


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