鬼滅の刃の劇場版に感じたこと
あんたの周りにある映画館はどんな感じだい?
我が家の近所の映画館では、10月になっていよいよ満席で映画鑑賞を行えるようになってきたんだよ。
本当の意味で普通の生活が戻ってくることは、もはやないって思っていたから、映画っていう娯楽だけでも以前に近づいた姿を見ると、こうこみ上げてくるものがあるよな。
なんつーんだ?
みんなが必死にかつての世界を取り戻そうとしている感じが俺に少なからず感動をもたらしてくれる。
今回はそんな映画館でみた作品について思いを馳せてみるって回だ。
ちっと俺の感想を聞いてやってくれよな。
鬼滅の刃の劇場版
つーことで、鬼滅の刃の劇場版を見てきたわけだ。
まず最初に言っておきたいのが、俺は原作を全く読んでいないってこと。
そして、テレビアニメ版は一通り見て、そいつにひとしきり感動を覚えていたってこと。
つまり鬼滅の刃という作品についてはアニメとしての評価しか持っていない状態であり、かつ物語の展開がどうなっているのかってことは知識無しでこの映画に臨んだんだよ。
煉獄杏寿郎というキャラクターについても、ニコニコ笑ってるなんか強い感じのヒトくらいの認識でこの映画を見たんだよね。
ただ、なんとなく煉獄杏寿郎というキャラクターは結構人気があるとは聞いていたので、その活躍が見られるのかな?くらいの感じね。
で、その前提でこの映画を見て思ったこと。
「これはテレビアニメでやって欲しかった」
これに尽きる気がする。
二時間でキャラクター性を描き出すってこと
こいつは原作付き映画の宿命みたいなところがあるとは思うんだけれども、限られた時間の中に濃密な原作を詰め込むことになるので、どうしても端折ったり簡略化せざるを得ないって要素があると思うんだ。
今回の鬼滅の刃劇場版はでは、夢を見せることで人間の本質的な心の弱さを描き出す物語が軸の一つにあったんだけれども、残念ながらその心の弱さについて理屈で理解することは出来ても、感情で理解することが出来なかった。
なぜか?
主人公の炭治郎だけはある程度丁寧にその「心の弱さ」を描き出されていたけれど、善逸も伊之助もその「心の弱さ」を描き出していたとは言い難い。
そして、今回の映画のメインキャラクターと言っても良い煉獄杏寿郎についてはその「心の弱さ」が非常にわかりにくかった。
原作を読んでいないのでなんとも言えない部分はあるけれども、内面描写をもう少し丁寧にしてあげても良かったんじゃなかろうか?
敵である魘夢の内面についてもほとんど描き出されていなかった。
個人的には鬼滅の刃の魅力の中で大きいのが炭治郎の優しさが敵の心にまで及ぶところだと思うんだけれど、今回の魘夢についてはそれがまったくなかった。
今回の映画のテーマというか状況が夢という心を題材にした状況だっただけに、この表現の奥行きのなさってのはすごく残念だと思うんだよ。
ってかその辺、原作はどうなってるんだろう?
最終巻が発売になってから全巻一気買いしよう。そうしよう。
ということで、俺としてはその丁寧さを発揮できる時間をきちんと割ける媒体でこの作品は描いてほしかったんだ。
作画やら音楽と言ったテクニカルな意味合いでは完璧だったので、娯楽性は非常に高いだけに、本当に残念。くぅぅ!
スタッフロールを見て思ったこと
そんな残念なところもあった鬼滅の刃劇場版だけれども、さっきも言ったとおり作画は魂込めてんなぁって思うくらいに素晴らしかった。
俺が地味に好きな水の呼吸二の型の作画なんて、もうそれだけで大満足って言える感じだった。
で、スタッフロールを見ててふと思った。
ほとんどが日本人の名前っぽい。
この手のアニメーションって人件費の問題もあって、オフショア生産するのが普通になってきているのにこれはどういうことなんだろう?
想像するに、鬼滅の刃というキラーコンテンツではある程度の予算をかけられる状況にあったってことなのかも知れない。
そうであれば、微妙な表現調整などをやり取りしやすい日本人スタッフの方がやりやすいってことだったのかなぁ。
それとも、日本人としての共通した感性みたいなものが欲しかったってことなんだろうか?
そのあたりの裏話ってわかったらおもろそうだよね。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはこう言うニコニコしながら不満を交えてコンテンツを語るって娯楽を楽しめると思うかい?