進撃の巨人のガビが投げかける課題
あんたにも思い入れが深い作品ってのがあるかい?
俺の場合、年齢を重ねつづける上でも飽きることなくアニメやらマンガやら小説やらを楽しんでいるので結構な作品に触れてきていると思うんだ。
それでも思い入れってレベルで心に残っている作品って言うと結構限定的になる。
その限定的な枠の中に入る作品のひとつに「進撃の巨人」があるんだよね。
今回はその進撃の巨人の登場人物の一人であるガビを取り上げて、ヒトがヒトを好きになることと嫌いになることについて考えてみる回だ。
ちっとヒトの感情について考えてみようぜ。
ガビというキャラクター
このnoteを読んでくれるあんたは進撃の巨人を読んだり見たりしている前提で良いよな?
あの作品は天才的な話作りとユーモアとダークな世界観で多くのヒトを魅了し続けてくれた稀有な作品だと思う。
特に話の展開が巨人との戦いから政府との戦いになり世界との戦いへと変貌していく様は「これを最初から考えてたのか」って驚嘆させられるんだよな。
その最終章であるマーレ編に登場するガビというキャラクター。
彼女はネット上の海外の反応動画とかを見ると嫌われているってのが見て取れる。
なぜそんなに嫌われているのか?
その理由の一つには「洗脳」というキーワードがあるんだと思う。
ガビはマーレの歴史教育を真正面から受け止めて、エルディア人が「悪」であるってことを大前提に据えている。
なおかつ、自分のことを「善良なエルディア人」であることはその「悪」を認識して永遠に反省しつづけることを根拠としている。
まるでどこかの国が日本に主張しているような内容だ。
でもさ。
それが普通の感覚として存在している状況に置かれたらそれに対応するのは極自然だ。
ヒトという生き物は他者と協力して生きていくことで生き残ってきたんだからね。
でも同じ状況に置かれ続けていたはずのファルコやその他の「名誉マーレ人」とされるエルディア人に対して、それほどの嫌悪感を抱くヒトって少ない気がする。
じゃあなんでガビだけ嫌われてしまったのか?
嘘だとわかった上で受け止める
なんとなくだけれども、ガビ以外のエルディア人って、少なからずマーレの示す過去の歴史ってやつに懐疑的だったようにも見えるんだよな。
例えばマーレの歴史を全面的に受け入れている立場をとっていたイエーガーおじいちゃんだって、実際には「受け入れないと生きていけない」という現実に対応するために受け入れていただけに見える。
ライナー母も同じ様に見えるよな。
ファルコは特殊な経験をすることでその歴史に疑念を抱くことが出来たし、他の戦士候補生はその歴史認識を表現される前に退場となってしまった。
つまり、「誰かが絶対悪でありその認識を変えてはいけない」と本気で信じているキャラクターはガビしかいなかったんだよな。
この誰かを悪として固定することにより生成されるヒエラルキーってやつに対して多くのヒトが嫌悪感を感じたってことなんだろう。
ヒトを否定する立場
そう言うヒトがヒトを否定することで成立する立場ってのがあるのは現実としてあると思う。
よく聞く韓国のヒトが反日を掲げるのはわかりやすい例だと思うし、日本でも在日のヒトに対して似たような感覚を持っているヒトも普通にいると思う。
ヒトがヒトを好きになるのと同じくらい自然にヒトはヒトを嫌いになれる。
そう言うことなんだろう。
問題はその嫌いという感覚が同調圧力を伴って社会構造に組み込まれてしまうことなんだよな。
何?悪いことをした、もしくはし続けているんだから嫌いになるのは仕方ないだろうって?
問題はその「悪い」って感覚なのかも知れない。
悪なんてのは本当に感覚にしか過ぎないので、ヒトによって内容が違うんだよな。
それを無理やりだけれども定義したものが「法」なんだけれど、その「法」も定義できたのは「罪」でしかないんだよな。「悪」じゃなくてね。
その意味ではガビは「罪」は犯していない。マーレの「法」ではね。
数々の殺人を犯しているけれども、マーレにとってはパラディ島は戦争対象国なのでそれすらも「罪」とはされないってわけだ。
それでも作品を味わう俺たちにとっては、ガビの行為や意見に対して嫌悪感を感じてしまう。
最終的にガビは幸せな生を得る描写がなされている。
でもガビが「エルディア人は悪」という認識を変えたという明確な描写はない。
多分、あれだけのことがあったなら認識を改めたよねって程度の描写だよな。
結果として最後のガビたちの笑顔で受け止められたのは「ガビ良かったね」ではなく「ファルコ良かったね」でしかない。
そう考えると、「歴史の悪」についての判断は俺たち読み手に投げられた状態で進撃の巨人という作品は終わっているわけだ。
なあ、あんたはどう思う?
ガビという存在を俺たちはどう受け止めていくことが出来るんだろうか?