「気持ち悪い」で守りたいモノ
あんたは何らかの政治的な結論に対して反対をするヒトを眺めて、自分の感情が動かされるってことを経験することがあるかい?
あいも変わらず俺としては日本を疲弊させまくっている経済状況に対して政府が取っている行動ってのが、どうにも理にかなっているように思えないことが多いわけよ。
いや、たしかにね。
政治ってのは究極的な人間関係の上に成り立っていると言う側面があるから、理にかなっている政策がまかり通らないってのは分からなくもない。
ただ、そんなことを感じていたときにこんな刺激的なタイトルの記事を読ませてもらったんだ。
ほほう、「気持ち悪さ」と来たかね。
今回はこの「気持ち悪い」と言う言葉について、一旦自分の中で咀嚼してみようって回だ。
ちっとヒトと言う生き物が他者もしくは自分自身に抱く感情ってのを考えてみようぜ。
「気持ち悪い」の源泉
まずはヨコタナオヤさんが何を「気持ち悪い」と感じたのかってところからだよな。
いろんな言葉を使って表現してくれているけれども、つまりは「自分の能力の不足を棚に上げて誰かの意思決定を否定すること」が気持ち悪いってことであってるのかな?
まず大前提として、この「気持ち悪い」と言う言葉が表現しているのは、あくまでヨコタナオヤさんの感情を素直に表現したものだってことを忘れないようにしないとイカン気がするわけだ。
つまり、この「気持ち悪い」と言う言葉でヨコタナオヤさんが誰かの人格を否定したいわけでもなんでもなくて、単純にヨコタナオヤさんの持っている価値観を逆なでする何かを感じたって事実だけがこの言葉に込められているってわけだ。
じゃあ、その逆なでする要素ってのは何か。
おそらくはそれが「自分の能力を棚上げ」にするって状態だと思ったんだよね。
自分のスキな自分
単純にね。
インボイス制度ってのに不平不満を言うヒトたちの意見を理屈をベースに話すことは出来るような気もするんだよ。
消費税導入時に、そもそも非課税枠が用意された経緯とかを踏まえてね。
でもきっと、そんなことをこのnoteでやることにはあんまり何かを生み出すことって無い気もするわけよ。
だってそうしたところで、ヨコタナオヤさんが感じた「気持ち悪い」って感情があったって事実は一つも変わらんわけだし。
それよか、その「気持ち悪い」って感情が俺の中でも再現される可能性があるのかって考えたほうがいくらかは生産的ってもんだよな。
さっき、「自分の能力を棚上げにした自分」ってのがヨコタナオヤさんは嫌いなんじゃないかって想像をした。
ってか、それであればなんとなく俺にもその感情の存在を理解できる気がしたわけよ。
「自分のスキな自分」にこだわるって感情をね。
「感情」を裏打ちするための理屈の魔力
そんなふうにさ。
俺はヨコタナオヤさんの感情を説明するための理屈を見つけた気になることで、自分の中にある種の満足感を得ているってことになるんだよな。
本質的にさ。
感情ってのは客観的に観測できるもんじゃないじゃんか。
「ああ、あのヒト怒ってるなぁ」って思うことはあっても、その怒りを数字で直接表現することは難しい。
ってか出来ないとすら思う。
怒りによって血圧が上がっているとか、瞳孔が開いているとかって生体反応は観測できるかもしらんけれど、それって感情を数値化するのとは意味が違うもんな。
それでも俺は誰かの感情を説明する理屈をほぼ無意識のうちに探し求めているって言う現実もあるわけだ。
なんで俺はそんな答えの無い問への回答を求めてしまうんだろう?
たぶんね。
「わかりあえた」って物語に身を浸していたいからなんだろうな。
もっというと、そう言うふうに言葉という形を経由しないと自分の感覚ですら実体を持って感じられないんだよ。
自分の感覚ですらそうなんだ。
誰かの感情なんてもっとそうだろ?
だからさ、俺はたぶんこの「理屈」という「魔法」に取り憑かれちまっているんだろうな。
なあ、あんたはどうだい?
あんたを虜にしてやまない「魔法」は何だと思う?
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