岸田首相の襲撃を考える
あんたは政治家に対する暴力ってのを聞いてなんか思うことがあるかい?
俺の認識では「元お笑い芸人」って御仁なんだけれど、たかまつななさんって御仁がいらっしゃる。
様々な言論活動をしながらご自身の意見を言語化し続けているって印象だ。
地味にお笑い芸人として活動なさってたときの芸風がスキだったんだよな。
そうそう、こんな感じのやつ。
あ、でもフリップネタのイメージなかったな。
これもオモロイ。
今回は、こんなたかまつななさんの政治に対する暴力って意見について考えてみる回だ。
ちっと、暴力ってものについて考えておこうぜ。
今回起きた事件
今回起きたのはこんな事件らしい。
詳しくは分からんのだけれども、どうも岸田政権の方針がいかがなものかと思っていたヒトが爆弾チックなものを演説中に投げ込んだってことなのかな?
まず大前提としてだよ。
なんかしらかの言論を物理的な暴力でやり込めるってのは論外だ。
これは間違いない。
たかまつななさんが上の記事で書いてくれたのも、その一言だと思う。
こっからは想像だけれども、この犯人のヒトだって、そんなことは百も承知だってことなんじゃないかと思う。
それでも許せなかった。
許せなかったんだよ。
仮にね?この襲撃が完璧に計画通りに出来たとしてだよ、どうなるのが成功だったんだ?
岸田首相を葬り去るのが目的だったのか?
なんかそうとは思えないんだよな。
だって、岸田首相を葬りたいって目的ならもちっと効果的な方法があるべよ。
工事用の発破使って薙ぎ払うとか。
それをしなかったってのはする実力がなかったって可能性もあるけれど、岸田首相を葬り去ることが目的じゃなかったんじゃないかって思っちまうんだよね。
じゃあなんなのか?
よくわからんが不満を表現するってことなのか?
暴力で政治を変えられるのか?
ぶっちゃけ、今の政治に不満がないのかって言われたら、まあまああるわけよ。俺としても。
消費税とインボイス制度、政府支出の貨幣プール論に根ざした議論。
防衛にしたって、どうすれば日本を守れるのかって議論に全然進んで行ってない感じもしている。
でもね。
それを爆弾投げ込んで首相を亡き者にしたらなんか変わるのか?
変わりっこねえべよ。
仮によ?現政権に対抗するようなクーデター組織を作り上げられていたとしてだよ、そんな暴力を受け入れることが出来るような土壌は今の日本にはない。
明治維新でだって結局は攘夷派ってのは目的を達することが出来なかったんだから。
そして少なくとも、俺たちはそうやって教えられて育てられてきたんだもんよ。
だからこそさ。
暴力って入り口があったとしてもだ。
その先にある理屈ってのがないことには俺たちはついていく理由を見つけられない。
だったら、先にその理屈ってのを表現する方から先にしないと目的を達成デキッコナイスだべよ。
暴力の理由
でね?
そんな事は言われなくたって分かってんだよ!って犯人のヒトから言われる気もするわけさ。
そうだとするならばだよ。
それでもやらんとならんかった理由ってのがあるはずじゃんか。
日本国内に岸田政権に対する不満ってのが存在しているってのを証明したかった?
そんなん、国会や委員会で山ほど野党が質問という形式でやってるじゃん。
その質問を経由して、政府からワリカシ揺るぎようのない言質ってのを取ってるケースも有る。
まるで何も生み出せないケースも普通にあるけどさ。
少なくとも、爆弾投げるよか何かを生み出せるってのはある気がするわけだ。
でも犯人のヒトは爆弾を投げるという選択をしてしまった。
なんでだ?
一つの可能性は犯人のヒトが国会や委員会の質疑の情報をまるで見ていなかったってこと。
まあ、たしかによっぽどの政治フリークでもなければ国会審議の様子なんて見やしないもんな。
最近ではYou Tubeでも審議の様子とかを見られたりするけれども、そもそも何を審議しているのかなんてことすらわからなかったら検索もできないもんな。
もう一つの可能性は国会、委員会の審議を見た上で「許せない」という感情がほとばしってしまったケースだよな。
感情が起きてしまったのはしょうがない。
だって感情は俺たちはコントロールできないんだから。
問題は爆弾を投げるって言う明らかに「ダメ」って言うことを行動にうつしてしまうことをどうして抑えられなかったのかってことだよな。
きっと俺が想像もできないほどでかい感情の流れに押し流されてしまったってことなんだとは思う。
そう考えるとさ。
俺たちにそんな巨大な感情の流れが襲いかかってきたときに、俺たちはどうやってその流れにあらがえば良いんだろうな?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは感情というどこから沸き起こってくるか分からない何かにどうやって立ち向かって行けば良いんだろうな?