LOOP8への不満
あんたもゲームを楽しんでいるかい?
久しぶりに気になるゲームとして出てきたかって思ったやつがあったんだ。
LOOP8ってゲームの名前があんたの耳に入ってきたりしているかい?
俺の人生を変えたゲームだと言っても過言ではないと思うガンパレード・マーチと言うゲームがある。
そのガンパレード・マーチを手掛けた芝村裕吏さんが手掛けた最新作と言うことで話題に登ったゲームだ。
とりあえず、ゲーム実行欲が低下している中でも、まあやってみたいゲームだと思って、ゲーム販売後1ヶ月位に購入して、それでようやく1週目をクリアした感じなんだよ。
正直に言うぜ。
残念な感じがすごいデカい。
今回は俺のLOOP8というゲームに対するファーストインプレッションを記録しておく回だ。
まあ、個人の感想ってやつだ。
話半分で聞いてくれよな。
日常パートの不満
日常パートの戦闘パートに分かれている感じなんだけれど、その構造そのものはガンパレード・マーチと似ているっちゃー似ていた。
日常で周囲のヒトとの交流を図り、周囲のヒト同士も交流を深めていく。
周囲のヒトは個々人の個性がAIによって実現されていて、勝手に仲良くなったり勝手にケンカしたりしている。
このあたりはガンパレード・マーチとおんなじ印象を受けた。
たぶん、裏の処理はえげつない進化をしているんだろうと思うけれど、いかんせん表に出てくる言葉が定型的な感じが強かったんだよな。
もしかしたら、プレイの仕方にも依るんだろうけれど、主人公のニニの各種能力パラメータがワリカシ簡単にマックス値まで持っていけちゃうってのもちっと萎える要素だったかもしれない。
訓練と加護と言う神様の思し召しで能力値が上がっていくんだけれど、この加護ってのがやたらめったら与えられるのよ。
お参りしたらど~ん。
ヒトから新しいセリフを引き出したらど~ん。
まあ、これはゲームのシナリオで表現したい歪そのものなのかもしれんけど、その加護によって友情だとか愛情の値ですら増えるんだよな。
どんだけ神様傲慢なんだってやつだ。
お陰で直感的にプレイしていると、男女問わずに愛情・友情マックスの「ヨメ」状態のやつがそこかしこに出てきて、「ラブラブな空気」か「ギスギスした空気」しか世の中に存在しない感じになる。
怖くね?
で、そんなのは嫌なので「あの人と仲良くして」ってお願いをするわけだ。
そうすると、そのヒトにお願いしたヒトへの印象がプラスになる。
……あれ?
神様の傲慢な加護とやってること一緒じゃね?
そういう歪を楽しめってことなのかな?もしか。
戦闘パートの不満
ぶっちゃけ、日常パートは良いのよ。
ガンパレード・マーチである意味完成形を作っちまっているから、あとはビジュアル面とシナリオ面をどうするかだけだと思うしね。
ビジュアル面はともかくシナリオ面は露骨に謎ワード出し過ぎじゃ?って感覚はあったけれどね。
問題は戦闘パートなんだよ。
戦闘パートが全くゲーム性が無いと思ったんだ。
日常パートでガンガン加護を貰えるもんだから能力パラメータは高い状態で戦闘パートに挑むことになる。
いや、そうなるとね。
戦闘がめちゃくちゃ単調になるのよ。
いわゆるターン制バトルなんだけれど、高い能力値とそれに伴う技が与えられた状態になると、ホントに最大の技を連発するだけで戦闘が終わっちまう。
ここはホントに思うんだけれども戦闘パートの作りとしてはガンパレード・マーチが最高だったと思うんだよ。
後続の絢爛舞踏祭は意味が理解できなかったし、ガンパレード・オーケストラに至っては印象にすら残っていない。
ガンパレード・マーチではちょっとした工夫で敵との間合いを取り、効果的な攻撃を下し、そうかと思えば、ちょっとしたミスで自分の機体が半壊してしまい、日常パートをその修理に明け暮れるなんてことも普通に起きた。
自分の戦闘行動のミスや判断の間違いで日常が変わっていく。
友人が死んでしまう。
LOOP8でも友人が死んでしまうってことは起きる。
でも大味なんだよな。
日常と戦闘が「死」と言う要素でしかつながっていない感じ。
戦闘がモニタの向こうに追いやられている感じ。
ああ、違うんだよな。
俺がガンパレード・マーチに感じていたのは戦闘に対する日常への責任だったんだよ。
戦況が悪くなったことで、友人たちと自分が疲弊していくと言うリアリティ。その疲弊を「自分のせいだ」と実感できる何か。
その責任を「死」と言うアイコンに集約しちまうのはどうなんだ?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはゲームの世界観を実感するために「責任」ってのを必要としていると思わないか?