「分かり合う」ことの難易度
あんたは誰かとの対話ってのを考えることがあるかい?
対話。
つまり相手の言うことを理解し、その上で自分の考えも理解してもらう。
大体のケースでは言葉というインタフェイスを利用して対話は成立する。
何つっても「対話」だもんな。
ところが、この言葉ってインタフェイスは実に脆弱な部分がある。
だって自分自身の考えってのを言葉にすることそのものが結構な難易度を持っている行為じゃんか。
今回は、そんな脆弱性を持ったインタフェイスしか持てていない俺たちがどうやってわかりあえるのかなんて言う絶対に答えのないことについて考えてみる回だ。
ちょっと、オッサンの戯言に付き合ってくれよな。
分かり合うって何か考える切っ掛け
今回の「分かり合う」ってことについて考えようって思った切っ掛けはこの作品だった。
ガンダム00の劇場版だな。
とある動画投稿をなさっている御仁が同時視聴形式で感想を述べていらっしゃったんだよね。
この作品のテーマが分かり合うってことだって。
完全に同意。
数あるガンダム作品の中で唯一「分かり合う」で結末を迎えている作品だとも思う。
初代ガンダムは分かり合えたようでアースノイドとスペースノイドの確執は全然解消されていないし、以降の宇宙世紀ものはその伝統をずっと引きずって、ヒトは分かり合えない生き物だってことを表現し続けてるもんな。
でだよ。
ガンダム00での「分かり合う」って表現がなされたのは完全に同意なんだけれども、はて?何を持って分かりあったんだ?ってのがちょっと腑に落ちないわけよ。
ガンダム00で表現された「分かり合う」
ガンダム00で表現された「分かり合う」ってのは結構いろんな物があると思う。
(1) 国家間の分かり合う(1stシーズン)
(2) 種族間の分かり合う(2ndシーズン)※イノベイドとヒト
(3) 生き物間の分かり合う(劇場版)※ELSとヒト
(1)ってのがリアルに俺たちが抱える問題なわけだけれど、これを実現させるために必要とされたのがソレスタル・ビーイングという国家に共通する「敵」だったわけなんだよな。
共通の敵に対応するために一致団結「せざるをえない」って状況が作られたってカラクリなんだよな。
(2)は分かり合うってよか、ヒトがイノベイドを掌握したってのが正しいのかな?
イノベイドがヒトを理解したって表現はないもんな。
そう考えるとヒトがイノベイドを数でうち伏せたって構図なんか。
そう考えると2ndシーズンはガンダムのお作法である「分かり合えないヒト」ってのを踏襲していたのかもしれない。
(3)については、実は俺は全く理解が追いついてないんだよ。
何回か見直したけれど、ELSと刹那が「分かりあった」プロセスが全く理解できない。
よく分からんがイノベーターである刹那とELSの対話の場所としてあの「花」が作られて、長い年月を経て得た結果がイノベーターである刹那とELSの物理的な共有ってことなんだよな?
100歩ゆずって刹那は何かを理解したのかもしれない。
ELSも刹那の何かを理解したのかもしれない。
いや、でも刹那はヒトにその理解をどう伝えるんよ?
ELSはヒトという全体をどうやって理解するんよ?
ってかヒト全体を理解するってどう言うことなんよ?
ヒトを理解する
そもそもだ。
ヒト全体を理解するなんてのは夢幻の如くなりってやつじゃんか。
ヒトが自意識を持っていて、それを表現する手段が言葉という実に不完全なインタフェイスしかないって状態でだよ。
1人のヒトを理解することですら難しいわけだ。
ぶっちゃけ、それが理解できる手段が出来たとしてもだ。
その理解を70億人分蓄積するなんて方法はない。
仮にストレージ技術で機械が保持出来る情報量が増えたとしても、その情報を1人のヒトが消化することはデキッコナイスじゃんか。
そう考えると「ヒトと分かり合う」ってのがどんだけの無理ゲーだって話になるんだよな。
なあ、あんたはどう思う?
まずあんたの眼の前にいるただ一人を「理解」するためには何が必要だと思う?