コミュニケーションと俺たち
あんたはどのくらいの頻度で誰かと会うことが出来ている?
俺たちは日々の生活に追われながら生きている。
その中では仕事上でヒトと会うってのがベースになっていると思うんだよね。
仕事でのヒトとのやり取りってのは、俺たちオッサンにとってまるで息をするがごとくの自然なことだよな。
ところが、プライベートでヒトに会うってことは仕事でのヒトとの付き合いとは別の意味を持ってくる。
今回は、このヒトとのコミュニケーションについて考えてみる回だ。
あんたもチットばっかり一緒に考えてみようや。
仕事でのヒトつきあい
仕事をする上で、ヒトとのやり取りって欠かし難いものだ。
何しろ、仕事の6割はヒトとのやり取りをどうやって行けばいいのかってことに時間を費やしているようにも感じるからね。
PMBOKというプロジェクトマネジメントの教科書みたいなものがあるんだけれど、その中でもプロジェクトマネージャーの仕事はヒトとのコミュニケーションだってくだりがあるんだよね。
そのコミュニケーションで俺たちオッサンは本当に自然にやり取りをしている。
そこにあるのは仕事上で共有されている共通の目的だ。
こいつがあるので、コミュニケーションは非常にシンプルにかつ、こと細かくやり取りされる。
コミュニケーションはあくまで目的達成の手段として使われているってわけだな。
プライベートでのヒトつきあい
仕事でのヒトつきあいとは違って、プライベートでのヒトつきあいはコミュニケーションそのものが目的になったりする。
プライベートでの行動は俺たちの行動そのものの価値ってやつを俺たち自身に納得させることが重要だ。
要するに楽しいのが一番ってわけだ。
そのため、プライベートでのコミュニケーションはいかに自分たちが楽しめるかってことが一番の目的ってことになる。
ここで一つ課題が持ち上がってくる。
俺たちは何が楽しいんだろうって課題だ。
そもそもプライベートでのやり取りは仕事の様に第三者の目的・課題を達成するためのものじゃないので、目的を自分たちの中に求める必要がある。
で、その目的が「楽しむこと」になると、その目的が本当にコミュニケーションを取る相手と自分の間で共有できているのかって問題が出てくる。
同じ趣味について語るってこともあるとは思うが、このインターネットが普及している現代では、その「趣味」の細分化が進んでいて、厳密な意味では「同じ趣味」を共有するってことはものすごく難しくなってきている。
同じガンダムが好きだって奴らで話していても、「ザクは美しいよね」って奴と「アムロは本当にチェーン・アギを愛していたんだろうか」って奴とでは話が噛み合わないと思うじゃんか?
いや、まあ、なんとか噛み合わせることは出来るかもしれないけどさ。
そう言うように、プライベートでのコミュニケーションは、俺たちが「何を楽しむのか」ってことにすごく依存しているわけだ。
「楽しみ」を拡張する
じゃあ、俺たちはどうしていけばいいのか?
俺たちは楽しいと思うことがバラバラなのが実態だとして、俺たちはどうやってプライベートのコミュニケーションを楽しんでいけばいいのか?
おそらく、その答えは「変化」ってキーワードにあると思うんだ。
実際、SNSでの色んなヒトとのやり取りをしてみて思ったことがある。
今までオモロイと思っていたこと以外にもオモロイことって無数にあるってことだ。
あのヒトはこんなことやってる。
このヒトはこんなことやってる。
その行動一つ一つがすごくオモロイ。
あるヒトは無料の撮影会をしているし、あるヒトは自作のアニメーションを作っていたりする。
その行動そのものが俺にとってものすごくオモロイ。
俺自身はそんなことをやろうと思ったことすら無いことで、誰かが本気で動いているのがたまらなくオモロイ。
そんなふうに数年前の俺は思えていなかったんじゃないかとおもうんだよね。
俺のオモロイが変化する。
それは俺が色んなヒトとコミュニケーション出来るきっかけを広げてくれているってことなんじゃないかと思うんだよね。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどれだけのヒトとオモロイをやり取りできるんだろう?
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