どこかの誰かの未来のために
家について電気をつけた。
よく聞いてはいたけれど、一人の家って寒いんだよな。
まあ、夏になれば暑いって文句たれてんだろうけどさ。
そういう物理的な温度っていうより、なんだろうな。
そこにいる家族のための情熱ってのがない感じ。
真人は俺の子にしてはしっかりしてるし、圭子が一緒に生活を支えるだろう。
そこに俺の存在の必要性はないと思う。
まあ、今の御時世だ。
失われた30年なんて時代を経験してきた俺の感覚は伝える機会もあるかもな。その準備だけはしとかんとならんかもしらん。
なんだろうな。
遺言でも書いとけって話なのか?
がらにもないことな気もするな。
なら、それこそブログでも書いて感じたことを残すか。
まあ、残せる財産もあるわけでもないから、そのほうがマシってやつかもしらんな。
何となくそう思って、パソコンを立ち上げる。
書き出そうとして、手が止まる。
「俺、何を感じてるんだろう?」
独り言が思わず漏れる。
日々のことに追われている。
そのことに不満はある。
でも追われていないと不安になるのも事実。
だめだ。圧倒的に言語化能力が足りてない。
書き出そうとすると日次報告書みたいになっちまいそうだ。
なんつーの?
単純に起きている課題とそれに対する対処法を羅列しただけのなにか。
あとは、起きていた課題の対策結果。
いや、これ読んでもらえないだろ。
メール
ブログにしようとするからそうなるんかな。
ならメールならどうだ?
単純に今日感じたことをメールにする。
そう思ってOutlookを立ち上げて真人のメールアドレスを書いてみる。
真人へ
今日は楽しかったよ。
圭子とうまくやっているみたいだな。
……いかん、全然意味がわからん。
何のためのメールだこれ。
メールってやり方をとると、どうしても「目的」ってのが必要になる感覚が染み付いてるのかもしらん。
そもそも、仕事以外での「目的」ってのを俺はなんか持ってるのか?
考えたこともなかったが、あえて言うなら真人を真っ当に育てるってのがそうだったんだろう。
そして、その「目的」は達成された。
次は?
自分にそう聞いてみる。
思いつかなかった。
葵で誰かとしゃべるのは楽しい。
家で映画の配信を眺めてるのも楽しい。
でもそれは「目的」か?
違和感があるわけだ。
なんつーんだ。「目的」ってのに向かう行動は苦しいものであって楽しいだけのものじゃない気がするんだ。
もちろん苦しみの先の達成感みたいなものを目指すんだけれどさ。
そうか。達成感か。
真人を真っ当な人間に育てる。
そのことを俺は達成してしまった。
そこで次に達成するべき目標を見失っちまった。
香
なんとなく仏壇に向かってみる。
いつもの若いままの香の遺影がある。
「なあ、俺はこれから何を目指したら良いんだろうな」
当たり前だけれど答えはない。
「真人を育てるのに必死にがんばったよ。真人は真っ当な人間に育ってくれた」
答えはないけれど、語り続ける。
「じゃあ、それが成し遂げられたとして、次に俺は何をすれば良いんだ?」
「まだ終わってないわよ」
どこからかそんな言葉が聞こえた気がした。
ハッとして、周囲を見渡す。
当然誰もいない。
遺影に目を移す。
「そうだったよな。二人の子どもたちを見守らんとな」
「それと、どこかの誰かの未来のために、でしょ」
また声が聞こえた気がした。
「そうだよな。お前が教えてくれた言葉だったよな」
遺影に語りかける。
そう言って俺は仏壇の前から離れた。
携帯に残っていた音楽を聞く。
「歌い続けている」
そうなんだよなぁ。
でもあんた、いなくなっちまったじゃんか。
俺は、あんたの弱さを認められない。
でも、その弱さがあんたを輝かせていたんだよな。
なら、俺も俺の弱さってのを抱えながら生きろってことか。
どこかの誰かの未来のために。