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機動戦士ガンダムSEEDという物語

あんたも機動戦士ガンダムSEED劇場版が公開されるってニュース見たかい?

俺がガンダム好きなことは俺の記事を読んでくれているあんたなら周知の事実なわけだけれど、この機動戦士ガンダムSEEDにはワリカシ色んな思いが積み上げられているんだ。

良い意味でも悪い意味でもね。

特に、機動戦士ガンダムSEED Destinyについては物申したいことが山ほどある。

今回は20年前の作品だけれど機動戦士ガンダムSEEDシリーズを振り返ってみる回だ。

ちっと俺の趣味に付き合ってくれよ。

ラウ・ル・クルーゼと言うキャラクター

まず、機動戦士ガンダムSEEDを語る上で避けて通ることの出来ないキャラクターにラウ・ル・クルーゼがいると思う。

いや、ぶっちゃけね?
何一つ間違ったこと言ってないんだと思うんだ。

何を知ったとて、何を手にしたとて変わらない!
最高だな人は。そして妬み、憎み、殺し合うのさ。
ならば存分に殺し合うがいい。それが望みなら!

出典:機動戦士ガンダムSEED

このあたりが代表的なやつかな?

これさ。声優さんがものすごいんだよ。
何一つ間違ってないって説得力が声に込められている。
そして、その事実の裏側にあるラウ・ル・クルーゼと言うキャラクターの絶望みたいなものを声に込めている。

最高だなヒトは。

で、そう言うものづくり観点もあるけれど、機動戦士ガンダムSEED(最初の50話)において、最もメッセージを残せたキャラクターがラウ・ル・クルーゼだと思うんだよな。

キラ・ヤマトもアスラン・ザラもパトリック・ザラもイザーク・ジュールもマリュー・ラミアスもナタル・バジルールですらもこれほどの強いメッセージは残せていない。

#ディアッカはチャーハンと言う謎のキーワードを残したけど

機動戦士ガンダムSEEDではラウ・ル・クルーゼの言葉に何一つ主人公であるキラ・ヤマトは言い返すことは出来なかった様に表現されている。

それでも守りたい世界があるんだ!

出典:機動戦士ガンダムSEED

これじゃ反論にすらなってない。
ムウ・ラ・フラガも同じだな。

最終戦闘のときに何一つ言い返すことが出来ていない。

たぶん、脚本家の両澤千晶さんが、キラ・ヤマトやアスラン・ザラにメッセージを託す事が出来ないって思ったんだろうな。

ってか両澤千晶さんお亡くなりになってたんだ。
ご冥福をお祈りします。

ギルバート・デュランダルと言うキャラクター

次のシリーズの機動戦士ガンダムSEED Destinyではラウ・ル・クルーゼの位置にギルバート・デュランダルと言うキャラクターが据えられる。

デュランダルはクルーゼよりももっと「正論」を世の中に発信するキャラクターだった。

しかもあのシャア・アズナブルの声でだ。

デュランダルが最終的に提唱したディスティニープランは遺伝子によって最も適した職業を斡旋すると言うなんかふんわりした計画だった。

ぶっちゃけ、そのプランの正当性ってのはわからんのだけれど、当時こんなコンテンツを作ってみたんだ。

まあ、軽く読めるやつだから読んでみてよ。

要するにディスティニープランってのは「良いのか悪いのか判断しかねる」って前提で書いたんだよな。

そしてその前提は今も認識は変わってないんだよな。

型にはめられた人生。
そんなものに価値があるのか?
そういう意見は普通にあると思う。

その上でだ。
「どう生きたら良いかわからない」って疑問も誰しもが持ってるもんだと思うんだよな。

その不安のある中でだ。

正しいかどうかはわからんけれども、あるロジックに則って自分が幸せを感じることが出来るであろうプロセスを提示される。

これ悪いことか?

ギルバート・デュランダルと言う一個人の判断じゃなく、ロジックに則っての情報提示がなされて、しかもその情報に対しての最終的な判断は個人に任されているんだぞ?

そこに対して、キラ・ヤマトとラクス・クラインは武力行使と言う方法を選んだ。

なあ、あんたはどう思う?

機動戦士ガンダムSEEDと言うシリーズからなにを受けとれば良いんだろう?

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