しなやかに生き残る技術
あんたも子どもたちがこれから生きていくことになるちょっと未来の世界ってやつを想像することがあるかい?
俺たちの日々暮らしている世界が千変万化し続けているってのは肌で感じていると思うわけだけれども、これから先に起きる変化を予測するのってのは至難の業だ。
ぶっちゃけ、今の子どもたちが大人になる頃の世界がどうなっているのかなんてことをある程度の正確性をもって予測できるやつなんてそうはいないってのが想像できるよな。
それでも俺たち大人は子どもたちが大人になったときに困らないように教育を提供していかないといけない。
それは過去の世界から得られた教訓のカタマリでしか無いので、もはや風化してしまっているものだってわかっていたとしてもね。
今回は今の俺たちが子どもたちに与えることが出来るものについて考えてみる回だ。
ちっと俺たちが持っている手札を確認しておこうぜ。
変化し続ける世界
ニューノーマルな世界観が一般的になってから、本当にすごい勢いで世界は変わったというのは誰だって感じていることだと思う。
でもそれ以前から俺たちの世界は変化を続けてきた。
趣味の世界で使われるだけだったマイコンと呼ばれる情報処理装置は、今となっては生活の一部に溶け込みすぎていて、むしろ情報処理をクラウドという実態が隠蔽化されたものに依存させることによって、その存在そのものを生活に溶け込ませさせる世の中になった。
ちょっと想像するとわかるじゃんか。
俺たちがガキンチョの頃にはシステムエンジニアなんて職業は成立してなかったんだぜ?
今の子どもたちが大人になる時代では、どんな職業があるかなんて想像することも出来ない。
想像を絶する世界で生き残るための技術
じゃあ、その想像を絶する世界観で子どもたちはどうやって生き残っていくことが出来るのか?
そいつを今「これ」って決めるコトそのものがリスクってやつだよな。
だって世界はこんなにも変わっていくんだから。
なら俺たち大人が子どもたちに伝えることはなにもないのか?
そんなはずないじゃんか。
で、ちょっとこう言うページを眺めてみた。
なんか、メチャクチャ賢そうな子どもだな。
どうやら、この子は「話しかけやすい教師」ってニーズを捕まえることによって自ら起業したってことらしい。
シンプルにスゲーって思うんだけれども、それ以上に思ったことがある。
「トライ・アンド・エラー」を繰り返すチャンスを子どもに与えるってのが大人が伝えられるでっかい要素なんじゃないかってね。
ダメを知る価値
この子が学習塾を経営するってトライをするのって、今までの価値観で行けば「ダメ」なやつだと思うんだ。
何しろ、今自らが学ばなければならないタイミングで、その時間を削ってまで利益を取りに行くってのは、感覚的にやばいって思う大人は多いと思う。
そこにある前提として、子どもの頃の学習能力の高さってのがあると思う。
脳がまだ新しい状態のときにこそ、できるだけ多くの知識を詰め込んだほうが良いって話だね。
ところが、その詰め込まれる知識ってのは文部科学省やら教育委員会やらが決めた画一的な知識でしか無い。
先人たちが積み上げた「正解」を詰め込む儀式だ。
ところが、その「正解」ってのが変化し続ける世界では「正解」であり続けることが難しい。
去年出来ていたことが今年できなくなるなんて普通に起きる話じゃんか。
だとすれば、必要なのは「今」何が求められているのかってのを実験するってことなんだと思うんだ。
考えて、試して、確認して、補正する。
まさにPDCAを回すってことだよな。
この学習塾を起業した子は、このサイクルをこなすことをメチャクチャ体験し続けることになると思うのよ。
たとえ、その結果がNGなものだったとしても、その原因を「自分で考える」って体験が出来るし、うまく行ったならば何よりも代えがたい「成功体験」を手に入れられることになる。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどうやれば子どもたちが決定的な失敗をしないトライ・アンド・エラーを経験させる事ができるんだろうか?