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コダワリというやりがい

あんたは仕事とどんなふうに向き合っているんだろうね?

俺たち団塊ジュニア世代だとかロスジェネ世代だとか言われる世代にとっては、仕事は「生き残るすべ」以外の何物でもなかった気がする。

生まれた時から周りを見回せばライバルだらけ。
自分より明らかに有能なやつもいるし、明らかにお荷物感を醸し出しているやつもいる。

実際に得られた成果はヒトそれぞれだけれども、みんながみんな必死に生き延びているって点では同じだと思う。
まあ、これは必死さを表現する行動の種類は違うかもしれないけれど、必死って見方だけならどの世代でも同じだとは思うけれどね。

今回は「辛い仕事」への向き合い方を考えてみる回だ。

まあ、あれだ。
オッサンがいかにして自分をなだめすかしているかってのを眺めてくれよな。

仕事へのコダワリ

嫌な仕事。
そいつはどういう仕事であっても避けようのない現実としてそこにあるやつだよな。

それに対抗するための方法のヒントをくれるnoteがあるんだよね。

経営者ののりくそんさんのnoteだね。

曰く、楽しめない仕事にコダワリを持つことで楽しめる要素が見つかるってことらしい。

なるほどなぁ。
コダワリってのは自分の中で大切に思っている要素ってことだから、どんな仕事でも行動でも出来事でも自分の中の大切な何かとの引っ掛かりってのはあって、それを見つけるってことが大事なんだよってことだよね。

これってさ。
ある意味人生を楽しむ真髄だよね。

自分の中のコダワリを探ってみる

でだ。
改めて自分の中で「なにがコダワリになり得るのか」ってことを考えてみると、実に難しいんだよな。

普段はただ漫然といろんな出来事だったり仕事だったり趣味だったりに触れていて、そこにオモロイって思えることもオモロくないって思うことも同じ様にある。

つまり、積極的にオモロイを捕まえに行ってないってことだ。
そらそうだよね。俺にはこれがオモロイってのが明確になってないんだから。

もちろん、自分のオモロイを絞り込んじゃうと、想像の外のオモロイに触れられないってのもあるからなぁ。
なので、具体的に「これ」ってオモロイ要素を決めちまわないで、もっとメタ的に考えといたほうが良いんだろうな。

そう考えてみた上で、今までの仕事だったりいろんな行動だったりを振り返ってみる。

思うに「細かい達成感」ってのが俺を動かしていたような気がするんだよね。

仕事もプロジェクト全体が終わったことよりも、目の前の仕事がきちんと形になることのほうが嬉しかったし、趣味でもゲームを全クリするより、目の前の1面をクリアするほうがオモロイに直結していたような気がする。

そう考えてみると、大局的に捉えるオモロイももちろんあるけれど、目の前のニンジンのほうが興味対象ってことなのかもな。

「細かい達成感」をどうやって感じるか

この細かい達成感ってのはどうやって得ることが出来るのかってのを改めて考えてみる。

達成感ってくらいだから「ゴール」がいるんだよな。

このゴールって実はちょっと難しい。
仕事で言ったら仕事としてのゴールってのは当然ある。
売上向上だったり、プロジェクトの達成だったりとね。

仕事ってのは究極は誰かとの約束を守ることなんだから当然だよな。

ところが、その約束ってのは俺の感覚だと「大きい」ゴールなんだよな。

俺の求めている「細かい」ゴールってのはその「大きい」ゴールを達成するためにもっと細分化していかないと感じられない。

そうなってくると、「大きい」ゴールに向かうための計画ってやつが必要になってくるんだよな。
これをやってからこれをやって、最終的に「大きい」ゴールを達成する。

この「これ」ってのが「細かい」ゴールってわけだ。

ポイントはこの「これ」ってのを自分で決めるってことなんだと思うんだ。
自分なりに「大きい」ゴールを理解して、自分なりに作戦をねって、その作戦を上司や同僚と共有して、その作戦を実行する。

それが出来て初めて自分の「オモロイ」にたどり着ける。
そんな風に思うんだよな。

なあ、あんたはどうだい?

あんたのコダワリはどこにある?

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