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人口減少する日本で俺たちがやるべきこと
あんたのところも、この一連の騒ぎに伴う景気悪化のアオリを受けているかい?
俺のような会社づとめのサラリーマンは直接のダメージは少なめな状況ではあるけれど、いつ何時、今勤めている会社が傾いてしまうかってことを考えておかないと行けないんだと思う。
ところが、今という時代は俺たちが子供の頃に経験していた高度成長期なんてどこ吹く風。
人口減少に長引くデフレ。
俺たちは生き残りをかけて工夫をこらす必要がある気がしてくる。
だけど待てよ?
俺たちが子供の頃と今では世の中のルールが変わってきているんじゃないか?
今回は、今という時代における生き残り戦略ってやつを妄想してみる回だ。
ちっとばかり一緒に考えてみようや。
高度成長経済が俺たちに感じさせたこと
いわゆる高度成長期って呼ばれる時代。
どうやら定義的には1954/12~1970/7までを指す言葉らしい。
やばい、知らんかった。俺生まれてないじゃん。
重化学工業分野での技術革新と固定為替相場制による輸出における競争力の確保、それに伴う国内市場の成長に石油価格の安価安定。
まあ、これでもかってくらいの状況の重なりがあったわけだ。
こう考えると、固定為替相場制なんてやつは、日本が戦争で負けたからこそ実現したってことなので、ドンだけしたたかだったんだ日本人!って思うよな。
この時期はまさに「大量生産」ってものがスマッシュヒットした時代だったんだと思う。
みんなが豊かさを求め、ところがマスコミが今のように発展していないから、その豊かさってやつが何なのか日本人はわからなかった。
結果として、数少ないメディアに露出する便利機械をゲットするっていう「モノ」を得る豊かさってやつにヒトの目は向いた。
みんなで、こぞって白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫、いわゆる家電の三種の神器をゲットしていったってわけだ。
確かにその家電は日本人の生活を一変させたのはあたり前田のクラッカーってやつだ。
#死語攻撃
そうやって行くことで俺たちは「おんなじモノをいっぱいほしい」って理想的な需要をゲットしていたってわけだ。
なんつっても「工夫しないでも頑張れば豊かになれる」って世界がそこに広がっていたんだもんよ。
何そのビバ庶民って世界観。
人口減少してみんなが違うものを欲しがる世界
で、時は経ち、今じゃ雑誌のカバーそこらじゅうで幅きかすやつ……なんてのはなくて、みんなてんでバラバラなくせに、どこを見ても同じような景色が見えるってわけのわからない状態になりつつある。
#伝われ !
なんつーんだ、ホント、俺たちはみんながみんなfacebookにTwitterにGoogleに、似たような仕組みの上で、似たようなことをしているくせに、ヒトとは違うものを求め続けているという、なんとも無限地獄のような世界観に生きている。
しかも日本人は生産性が低いってんで、働きすぎって状況を世界的に馬鹿にされているって状況だ。
だってしゃあないじゃんよ。俺ら庶民よ?
Googleさんやfacebookさんみたいにビッグデータゲットできる仕組み考えられないもんよ。
ってなったら、俺たちみたいなサラリーマンはどうすれば良いんだろうな?
「これこれこう言うサービス作れば流行るんじゃね?」って画一的な発想ではこの細分化された趣味趣向を生き残っていけないし、誰もが使うような仕組みは先行者利益でGAFAがガッツリ持っていってしまっている。
しかも生産人口は減る一方。
どんどん作れるものが減っていく。
なんとも言えない「お先真っ暗感」があるよな。
でも、まあやり方はある。
まず市場を海外に広げること。
人口減少が事実なのなら国内市場はどうやったって縮小する。
これは嫌だろうがなんだろうがれっきとした事実だ。
で、もう一個。
あんたが「誰かが喜ぶこと」を提供できるようにするってこと。
あんたも美容院なり床屋なり行ってんだろ?
美容院のサービス品質って、結構どこでも高くて、よっぽど安かろう悪かろうなところを引いちまわない限り、結構どこでもきれいにしてくれるよな。
そうなると、あんたは何で美容院を選んでいるんだっけ?
ヒトじゃね?
その美容師さんと話したいからその美容院に行ってんじゃない?
そう言うふうに、俺たちはサービスの中身から、そのサービスを提供しているヒトって観点で消費を選ぶってのが普通になってきている。
そうなってくると、俺たちがするべき最後のことが見えてくるよな。
海外の友達を作ろうぜだ。
特に俺の感覚だと次の20年をゲットするのはインドとインドネシアだと思うんだよな。
その辺の奴らが喜びそうなことを探しながら、コミュニケーションを初めて見るのがオモロイんじゃないかなぁ。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちが日本人として、世界に感謝される日は俺たち自身の手に委ねられているって思えるかい?