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リアルじゃないリアリティ

あんたには「あえて見てみよう」って思わないけれども、なんやかんやで目に入ってくるコンテンツってのがあるかい?

俺にとっては、いわゆる異世界転生ものってやつがそのたぐいになるんだけれど、なんかびっくりするくらいたくさんの作品が作られているみたいだね。

とりあえず最初からアニメ放映されているものを見た唯一の異世界転生ものって言うと「盾の勇者の成り上がり」ってのがそれになる。

あ、よく知らなかったんだけれどシーズン2もあるのか?

今回はこの異世界転生ものってジャンルが世の中に受け入れられている理由について想像を働かせてみる回だ。

まあ、あれだ。時代にオッサンがしがみつく一貫だと思って眺めてくれよな。

自分が夢中になったファンタジー

まあ、そう言うわけで異世界転生ものって言うと盾の勇者の成り上がりしか知らないわけだけれども、どうも基本としてRPGライクなステータスが世界観の中心にある物語が多いのかな?

やれ攻撃力がどうのとか防御力がどうのとか、そう言う能力が数値化されているのが普通の世界観だ。

生まれたときからRPGってゲームのジャンルが世の中に存在していて、娯楽の中心にある状態なら、この世界観が受け入れられるのも自然ってことなのかもな。

俺たちがガキンチョの頃にもファンタジーってジャンルは普通にあった。

エルリック・サーガを代表とするエターナル・チャンピオンシリーズを始めとして、指輪物語、ライト目なところで行けばロードス島戦記とかね。

ロードス島戦記だけはTRPGというボードゲームの派生として小説化された経緯があるけれど、それ以外はあくまでファンタジーの世界が初めにあって、それがRPGというゲームのジャンルへと派生していったって感じなんだよね。

ゲーム化された世界観が受け入れられている意味

で、ロードス島戦記はゲームから小説って流れを作ったはしりなのかもって思うわけだけれども、いわゆる異世界転生ものと違って、ゲーム色を極力持ち込まないように描かれていたと思うんだ。

あくまで世界のリアリティをエンタメとして据えていた感じがする。

対して、異世界転生ものはゲーム色を全面に出すことでエンタメとして成立させている。

いわゆるライトっぽさが押し出されることによって、まるでゲームを楽しむように物語を楽しめるようになっているってことなんだろうね。

逆に言えば、ライトっぽさが無い作品は受け入れにくくなっているのか?
いや、そんなこと無いよな。

鬼滅の刃は十分にヘビーだし、進撃の巨人に至っては救いがまるで無いような作品だ。
それでもこの2つの作品はマンガとしてもアニメとしても実に多くのヒトに受け入れられている。
王様ランキングも絵柄はライトだけれども、話の内容はヘビー極まりないよな。

これはどういうことなんだろう?

ヘビーな話に予算をつける難しさ

おそらくは、受け入れられているヘビーな作品たちに共通していることがある。

間違いなくアニメ化に対する予算がえげつないってことだ。

おそらく、鬼滅の刃は第一期についてはそれほど巨大な予算ってわけじゃなかったのかもしれないけれど、ヒノカミカグラの19話から様相が変わったんじゃないかな。

あの回がなければ無限列車編があれほどのクオリティで作られることはなかっただろうし、その無限列車編での実績を受けて遊郭編のクオリティが担保されていると思う。

進撃の巨人はマンガ自体がものすごい人気を持っていたところに偉いクオリティのアニメが突っ込まれることで人気を不動のものにした。

王様ランキングも絵柄に惑わされがちだけれども、作画のクオリティは結構えげつない。

つまりヘビーな世界観を今の時代でリアリティをもって表現するためには予算がかかるってことなんだろう。

俺たちがガキンチョの頃は、それほど作画に時間と予算をかけるってことは無かった。
この辺は手塚治虫さんの功罪ってことになるんだとおもうんだけれど、アニメの製作コストがえげつなく少なかったんだ。

それ故に、アニメの作画については「そう言うもんだ」って思いながら見る側が補完して見てたんだと思う。

ところが、表現の幅がえげつなく広がることによって、見る側が補完するってアニメの楽しみ方は少数派になっていったってことなんだろうね。

そこで、ゲーム要素を世界観にあえて組み込むことによって「リアルじゃないリアリティ」って手法をとったのが異世界転生ものってことなのかもな。

これであれば、一定の予算枠の中でも表現をあえてチープにすることで作品として成立するもんな。

なあ、あんたはどう思う?

だがそれでも。俺たちはアニメにリアリティを求め続けている様に思うのは俺だけかい?

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