
昔の学制の概要まとめ
明治、大正、昭和初期の書籍を読むと、学制の話題が出てくる。小説の内容の一部になっていたりする。
なんとなくは理解していたが、この際とばかり調べてみた。
細かすぎるとかえってわかりづらくなるので、詳細な経緯は省いて概略をまとめてみた。
先ず、①尋常小学校が6年、その後、②高等小学校の2年と、旧制中学5年か、高等女学校5年か、のいずれかに進学する道がある。
なお、昭和11年の統計では尋常小学校卒業者の66%が高等小学校に進学したという。また、旧制中学の受験に失敗した者も高等小学校に進学したりし受験予備校の役割も果たした模様。
余談だが、高等小学校進学率は、2023年の大学進学率58%とほぼ同じ6割近辺だ。
今と昔で大学の位置づけには天地の差がある。
更に、高等女学校であるが、その後の進学先としては,女子の高等教育機関である女子高等師範学校や女子専門学校があるも、これらへの進学率は戦前期を通じて1%に満たなかった。この意味で、高等女学校は戦前においては実質的な女子の最終教育機関であったといえる。
③旧制中学に進んだ者は旧制高等学校3年へ進学する道がある。なお、旧制中学4年でも優秀なら旧制高校へ進学できた。(4修)
その後は、最高学府として④帝国大学の3年がある。
以上、現在の6、3、3、4の計16年の学制と対比すると、昔は6、5、3、3の17年の学制だったと言える。
小学生の頃、私は長期の教育期間を思い気が遠くなったが、昔も大して変わらなかったのだ。
纏めてみたが、注意すべき点は、昔と今では高等学校と大学の学生数、進学率が圧倒的に昔は少なかったところだろう。
知識の大衆化が図られたのは昭和時代の戦後になってからだ。
だから、今の常識で昔の学制を考えると誤認するので留意すべきである。