トップと2番手以下の待遇に大きな差をつけることの効用
なるほどな~。
枡席で胡座をかいていた僕は、思わず膝を打った。
実力がものを言う競争社会においては、トップと2番手以下の人たちの待遇に大きく差をつけることで、2番手以下の人たちの闘争心を煽り、もっと上へと這い上がろうと躍起にさせる仕組みが見事に機能している。
これは昨日相撲を観戦した際、15時40分頃から始まった幕内力士の土俵入りを見て、実感したことだ。
幕内力士というだけで、力士の中ではトップグループに入っていると言っても差し支えないと思うが、横綱と大関以下の幕内力士とではその待遇に圧倒的な差がつけられていた。
具体的に言えば、大関以下の幕内力士は順番に土俵に上がって、土俵上で円になって一人ひとり名前を紹介され、最後に伝統的な型に従って、身体を動かし、土俵を降りていく。
それを東側と西側の力士でそれぞれやる。
ところが、横綱は大関以下が退いた土俵に一人で上がり、そこで伝統的な型に従って、大関以下が土俵上に滞在した時間の何倍もかけて身体を動かす。
それを各々の横綱がそれぞれやる。
観戦に来ているお客様たちの注目を一身に集め、お客様たちの羨望を専有する時間も圧倒的に横綱が多い。
ふと、以前も同じようなことを感じたことがある気がすると記憶を遡っていたところ、初めて宝塚歌劇団のショーを観劇したときの感覚に辿り着いた。
宝塚歌劇団のショーも、閉幕を迎える間近、その組に所属する男役や女役の方々が、舞台上の大階段から順番に下りてきて、観客に向かって挨拶をする。
それを見ながら、トップの方、特に男役のトップ、と2番手以下の方々の扱いの差に愕然としたことを思い出したのだ。
こんなにもトップと2番手以下の役付きの方々との待遇に差をつけるのかと。
でも、それこそが競争社会に身を置く者に、何としてでもトップの座を射止めたいという情熱を湧かせる動機になるだろうし、競争を是とする社会を統率する側からは、それが効果的な手法の一つだと捉えられているからこそ採用されている制度なのだと思う。