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三島由紀夫『豊饒の海(三)暁の寺』の表紙がボロボロな理由
ブックカバーチャレンジとかいいながら、ブックカバーにまつわる話がひとつもなかったと今更のように気づいたので、そういうのをひとつ。
真冬のフランスで雨にうたれてぼろぼろになった三島由紀夫の『豊饒の海(三)暁の寺』の文庫本です。
ヨーロッパを放浪
21歳のとき、大学を休学してアルバイトでお金を貯め、ヨーロッパを放浪しました。
と訊くと、『深夜特急』のようなバックパッカーのような旅を想像すると思うけどそうじゃなくて、日本を出る前は完全なノンプランで、
・ロンドンを満喫する
・リバプールに行く
・アイスランドでオーロラを観に行く
この2点しか決めていませんでした。
持ち物もごっついバックパックとかじゃなく(放浪する予定もなかったし)ポーターの手持ち・肩がけのタンカー(下のやつみたいな)で行くという、舐めたような軽装なのでした。
結果からいうと、当初の予定とは違ってヨーロッパのいくつかの国を回ることになるんですけど、理由は、
・到着翌日に、ロンドンからアイスランドの航空チケットを取りにいったら、日本-ロンドンとほぼ同じ値段で躊躇した
・そのことを宿に帰って話すと、「ユーレイルパス」っていう電車のパスがあるよって教えられる
・それええやんか!となってさっそくパスを買う
・ひとまずアムステルダムまでバスで行って、そこからパスを使う
みたいなことがあって、図らずもヨーロッパを放浪することになったのでした。
で、北欧からドイツ、スイス、イタリアと行って、
スペインは予定外にイタリアでサッカーの試合を観たことで行けなくなって(中田英寿が出る世界選抜対イタリア代表の試合があって、当日の朝ローマで出会った人にそのことを教えられ、いっしょに観に行くことになって急遽もう一泊することに)、
ローマからパスの有効期限最終日にパリに戻ってきました。
あともう1週間ほどでクリスマスという年の瀬の話です。
夜更けすぎにみぞれ混じりの雨が降ってきた
宿代を浮かすのと、時間を稼ぐのとで、長距離を移動するときは基本夜中で、ローマからパリに向かった電車も例に漏れることなくそんな感じで、パリには早朝の5時くらいに着きました。
そこから、その日泊まろうと考えていた宿のある駅まで移動し、駅から目的まで、地図を頼りに暗がりの中あたりを徘徊したのですが、なかなか見つかりません。
最初に言うとくと僕はかなりの方向音痴で、そこへもってきて簡易イラストみたいなざっくりした地図、バカみたいに重い荷物(バックパックじゃないから背負えない&行く先々でいろいろ買ったりしてどんどん荷物が増えていく)、さらには夜明け前の暗がりの見知らぬ土地ってことで、それらの条件が余計にマイナスに働きました。
Googleマップ使えよ!ってつっこみも発生しそうですが、当時はガラケーでそんなもんないんじゃってことで、そしたら人に訊けよって話ですが、早朝なんで、そんなに人もおらんかったのです。
というわけで、精度の低いイラストの地図を片手に、重い荷物を肩にかけながらぐるぐる辺りを回っていたのですが、小雨だった天候がどんどん悪化してきて雨脚が強くなり、さらにはミゾレのようになってきました。
めっちゃ寒い。
さらには、夜行列車からの早朝到着という状況で寝不足、無駄に重い荷物による肉体的ダメージと、心身ともに疲弊していました。
だから一刻も早く宿にたどり着きたかったんですけど、それがなかなか叶わず、そんなところへもってきてミゾレも降ってきて、びしょぬれに・・・。
雨宿りするような店もまだ開いておらず、半泣きどころか全泣きみたいな状態で徘徊してたら徐々に夜も空けて行き、言うてる間に通りにあったパン屋さんもオープンしていました。
時計を見ると7時を少し回っており、わー、1時間ちょっと徘徊してるやんとか思ったけど、とにかく心身ともに大きなダメージを被っていたので、とりあえず英気を養おうとコーヒーとパンを買いました。
店先でパンをコーヒーで流し込むと、パンを買いに来ていたご近所のお婆さんに「ここの場所わかりますかね?」と地図を見せながら訊ねてみました。
言葉はよくわからなかったけど、「あ、これ私の家の近所よ。ついていらっしゃい」みたいな感じだったので一緒についていくと、そこから数分で目的の宿にたどり着きました。
わー、こんな近かったのかよ、と自分のふがいなさに地団駄踏みましたが、ひとまず到着してよかったです。
ボロボロになった『暁の寺』
で、やっとのことでブックカバーの話です。
上記の旅の途中、porterのタンカーの前のポケットに入れていた文庫本のが三島由紀夫『豊饒の海(三)暁の寺』でした。
みぞれで全身ずぶ濡れになったわけですが、前ポケットを開けてみると、中の文庫本もえらいことになっていました。
写真ではあんまりわからないかもだけど、表紙の折り返しのところが破れていたり、全体的けっこうボロボロになっています。
この表紙を見るたび、あの真冬のパリの早朝のみぞれ混じりの雨の冷たさを思い出します。
というのは嘘で、そもそも目にしたのが引っ越しのときにダンボールに詰めたとき以来なんですけど、まあ何かしらいわれのある表紙として取り上げてみました。
つーか、ヨーロッパ文学もっていっとけよ
てか、ヨーロッパ行ってなんで『豊饒の海』やねん。
しかも、『暁の寺』って舞台タイやんけ。
とかいろいろつっこみどころはあると思います。
つまり、昔たしかソリトンサイドBでドリアン助川と山田五郎が「現地に行って、現地が舞台になっている小説を読むことの贅沢さ」みたいな話をしていたことがあって、それでいうと例えば、
セリーヌの『夜の果てへの旅』とか、ジュネの『花のノートルダム』なんかを持っていっとくべきであって、少なくとも『豊饒の海』ではないよなとは思いますw
なんでそんなことになったのかというと、日本を発つ前に『豊饒の海』の第一部「春の雪」、第二部「奔馬」を読んでおり、律儀に続きの「暁の寺」を持っていったのでした。
持っていったのはこの一冊だけで(もしかしたらもう一冊くらい持っていってたかもだけど)、冊数を抑えたのは単に荷物を増やしたくないということと、現地ではゆっくり読書している時間なんてそんなないだろうと思ったからなんですけど、ノルウェーに行った頃には『暁の寺』は読了していました。
んで、旅先の宿なんかに自分が読んでいた本を置いていくみたいなシステムがありますが、たまたまノルウェーの世界最北の鉄道駅があるナルヴィクってとこで路頭に迷い(夕方なのに真っ暗)、心配して声をかけてきてくれた小学校低学年の男の子につれられて泊まった宿に日本の文庫本があって、活字に飢えていた僕はそれを拝借しました。
作品は吉村昭の『冷い夏、熱い夏』。
普段なら読まないたぐいの小説でしたが、とにかく他に読むものがなかったので、ありがたく拝読しました。
内容は、主人公の弟ががんに侵され、
「それが最悪のものであり、手術後一年以上の延命例が皆無なことを知らされた「私」は、どんなことがあっても弟に隠し通すことを決意する。激痛にもだえ人間としての矜持を失っていく弟…。ゆるぎない眼でその死を見つめ、深い鎮魂に至る感動の長編小説」
という感じで、作品としてはいい小説だと思うんですけど、いかんせん痛々しい描写がけっこう続き、それこそヨーロッパの真冬の光景を目にして読むような小説ではないなと思いました^^;
というわけで、読書が好きな人は、現地が舞台となっている作品をもっていくのがおすすめです。