同じなんて つまんない (徳島宿プロジェクト)
意識は「同じ」を求め、 感覚は「違い」を求める
これは敬愛する養老孟司さんの言葉
海辺の倉庫に暮らしていると良く分かるが、自然に接して使うのは「感覚」だ。
同じように見える海の景色も、潮の満ち引きや天候で刻々と姿を変える。
海をプールと同じように考えると大ケガをするし、美しいだけでは済まないこともたくさん。網戸もエアコンも無い隙間だらけの倉庫暮らしは、蚊帳を吊って窓を開けるなど、日々変化する自然に合わせて快適さを探る暮らし方が必要になる。
海から受けるパワーは大きくて、否が応でも感覚が常に刺激される。海のそばで暮らすというのは、多くのエネルギーを消費するということも知った。妙にお腹が空いて、ついつい食べ過ぎてしまうのも、このせいだろうか?(笑)。
街に住んでいると使っているのは「感覚」ではなく「意識」
ようは頭の中で生活していると、養老さんは言う。
部屋は一定の温度に保たれ、昼夜の別なく明るく、段差なく歩ける。そんな環境で生活していると、感覚を刺激されることを煩わしいと思うようになるという。なるほど、何か分かるような気がするな。
それでも「自然がいい」と思うのは、自然じゃないほうに社会が寄りすぎているせいなのかもしれない。
倉庫にやってくる野良猫たちを見ていると、いかに感覚で生きているかが良く分かる。猫にとっては「同じ」という概念は無く、ようは目の前の「その魚」が食べられるかをその瞬間に感覚的に判断している。一見あまりにシンプルで知恵が無いように思うけれど、毎日が同じなんて考える方がつまらないし、いざというとき身を守るのはこういう「感覚」なのだと思う。
宿の改装計画を進める上で、この「感覚」を削ぎすぎないように注意が必要だなと思っている。もちろん清潔で快適な空間であることは重要だが、なるべく自ずと「感覚」を必要とするよう、作り込みすぎないことも大切なんだろうな。
「情報化」とは、五感から入ったものを情報に変えて人に伝えること
養老さんは情報化について、このように説明している。例えば自分の目で見たものを、文章として表現することもそう。
現在進行形のこの宿も、頭で構築したものではなく、自分の五感を最大限活用して情報化し、皆さんにその魅力を感覚的に感じてもらえるよう発信していきたいものです。