舞台『My Boy Jack』感想(11/4 兵庫)
作家ラドヤード・キプリングが第一次世界大戦中
に書いた詩「My Boy Jack」をもとにした舞台。
兵庫公演を観てきました!(キャスト4人のアフタートークショーもあり贅沢な回でした!)
以下、お話の内容に触れた感想&アフタートークのレポになります!
舞台は第一次世界大戦の時代のイギリス。
キプリング家の父・ラドヤードは、息子・ジョンを戦地に送り出します。
眞島さん演じるラドヤードは、戦時の"正義"を声高に語る人物でもあり(演説のシーンは、客席が丸ごと聴衆として引き込まれました)、
一方で、著作「ジャングル・ブック」で知られるように、冒険を愛していて、それを子どもたちに伝えることを心から楽しんでいる。
同じ人物の中にその二つの面が確かにあることが恐ろしかったです。
舞台の中で、ラドヤードは"強くあるべき人"の論理で突き進んでいくように見えますが、それがキプリング家の3人を振り回すことになります。
前田旺志郎さん演じる息子・ジョンの精悍な顔つきが素晴らしく、
入隊前後の初々しい場面、中尉らしく振る舞う場面、心中を吐露する場面(本当はずっと不安だっただろう……)、見ていて胸が痛みました。
そして
のですが、
息子の帰りを待つキプリング家の様子は、元近衛兵のボウの訪問によって一変します。
この、戦場での壮絶な体験を語るボウ(佐川さん)がすっご……凄かったです。
そして、倉科カナさん演じる母親・キャリーとの衝突。
死を前にしても、意味を、大義を付与しないと受け入れられない父。悲しみや弱さを自分で許せないような"強さ"の論理。
息子の死を悼み、苦しみを正面から受け止めて、憎み呪う母キャリーと対照的でした。
ラドヤードは、戦地の息子を励まそうと「私にも亡くした友人がいる」と話したり、
息子の死に直面した妻を「この国には同じ思いをしている家族がごまんといる」といって慰めようとします。
ひとりにひとつの悲しみがあることを、この時代では忘れてしまう面もあるのだろう……と感じましたし、
いつの時代も(まさに今現在においても)、こういう考えになり得るだろうと、普遍的で生々しくも思いました。
時は経ち、夏子さん演じる姉・エルシーの結婚の場面に移ります。
あの日、戦地でもここなら雨に濡れないからと、頭の上(帽子の中)から出して、近衛兵がジョンに貸したハンカチ。
涙ぐむ娘の頭の上に、父ラドヤードがポンと置くハンカチ。
全く違うシーンがオーバーラップするようで、不思議な美しさがありました。
最後はさらに時が経ち、詩「My Boy Jack」の朗読とともに舞台は幕を閉じます。
複雑な時代の今、観ることができてよかったと思いました。
アフタートークは、朗らかな親戚の集まりみたいな雰囲気が漂いつつ(笑)、土屋さんの進行で。
(ちょっと内容はうろ覚えで書くので諸々ご容赦ください!)
兵庫県立芸術文化センターは良い会場だね〜という話があったり、
演出の上村さんに言われて印象に残っていること……というテーマではそれぞれ
眞島さん:「イギリス人らしく」
個人的な感想としても、ラドヤードは特に英国紳士としての矜持がある役でしたし、皆さんそうなんですけど、全身で「1910年代のイギリスに生きる人たちの物語である」と感じさせる力が凄かったです。
前田さん:「私たちはオリンピックを目指しているんだ!貴方は国体だ!」と言われたのが刺さった。
「わかりづらい例えだなぁと思って見てたんだけど(そんなに刺さってたとは……)」「国体もすごいじゃんねぇ」と眞島さん。
夏子さん:監督はよく「ハマりがいい」みたいな表現をするので、それを言われると嬉しい。
何がハマったのかわからないときもあるよね(笑)とひと笑い。
"劇団塹壕"こと、前田さんをはじめ塹壕のシーンに出ているメンバーは、出番が少し早めに終わるので、
楽屋で「オトンとオカンとねーちゃん、まだやってはるわ〜」と見ているそう。
(前田さん、アフタートークを聞くと関西弁が大変キュートなお方でした!)
倉科さんは「腰が痛い」と切り出して、というのも舞台の傾斜が7度(!?)もあるそうです。
床の傾斜は舞台の奥に行くにつれてそり立つ壁みたいになっており、「SASUKE」と言っていたのも納得の構造……。
詩が刻まれた木の板を組み合わせた床(兼 壁)になっていて、独特の雰囲気でした。
(土屋さんのブログの写真がわかりやすかったです!)
皆さんとても仲が良さそうで、
移動中の車内で眞島さんがソフトクリームの話を30〜40分もしてたことを暴露されていました(笑)
いつも楽屋は大盛り上がりだとか……!
アフタートーク含めとても良い時間でした!
ありがとうございました!!
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