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【しろくろ】失われるファンタジスタ
ジダン、ロナウジーニョ、セスク、アイマール。
タイプこそ十人十色だが、2000年代にファンタジスタとしてゲームを支配した選手たち。僕らの世代でいうところのアイドルたちだ。
彼らはそれぞれが敵も味方も欺くような、予想のつかないプレーでサッカーというスポーツの自由さを体現していた。
おおよそ作戦に組み込むには不確実で、監督から言わせるとカオスな因数だったことだろう。チームの出来は彼らの出来次第といっても過言ではなかった。
サポーターもただのサッカーファンも、立場など忘れて彼らのその日の出来を楽しんだ。即興で彼らが作り出す何かを、90分ワクワクと見守った。
時代が変わり、彼らの時代は終わりを迎えた。
それはとてもはっきりとした変化で、そしてとても必然の終わりだった。
サッカーはただのスポーツではなく研究対象になり、データ化と効率化が進み、選手は作戦実行能力を問われ出した。これはとても当たり前のことで、嘆く道理なんてない。サッカーは明らかにスポーツとして進化しているのだ。
どうなるか試合に出してからでないとわからない気まぐれなファンタジスタや、守備のできないトップ下などは、対戦チームによってどのポジションを奪いどころにするかが日々変わる現代サッカーに対応できない。
フィジカル、スピードの面で局面の打破が見込めない彼らは交代出場のワンポイントで使うことはできるが、試合の軸に組み込まれることはなくなってしまった。
アーセナルのウーデゴーアやエジル、レアルのイスコなどはひと昔前だったらヒーローになっていたのではないか。何度でも言うが、嘆く道理はない。彼らの今の立ち位置はサッカーの進化による必然の帰結で、それに対応できない選手はそれ相応の位置に収まる。
それでも僕は彼らのプレーが好きだ。ここにも道理なんかない。そしておそらくもうあの時代は戻らない。今言えるのはあの時代をサッカーファンとして過ごせたことが幸せだったということだ。