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noteの続け方

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300日連続投稿を記念して、途切れたとき、途切れそうになったとき、思いがけず続いていることに気づいたとき、そんな記事をまとめたマガジン
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200文字で、noteが習慣になったと感じる2つのポイント

何を書こうかなと「投稿」ボタンをクリックしたら 「今日投稿すれば21日連続!」 noteを書くようになって4年目。 最初の2年ほどは途切れず続けていたが 777日目に途切れた。 でも、その翌日、すぐに再開できたことが書き続けられる自信になったように思う。 つまり、習慣になったと感じるのは 欠かさず続けられるからではなく 途切れてもすぐに再開して続けられるから。 そして再開できたのは 書くことに価値を感じているからだ。

200文字で、初心に戻って充足感を取り戻す

気がつけば、明日で4月も半分だ。 なのに、充足感が足りない。 振り返ると、昨年末に父の調子が悪くなり、生活のリズムが変わったのがきっかけらしい。 月に2〜3度、日帰り帰省するのが定番になった。 そんな変化に慣れててきた頃に黄砂にやられて体調を崩した。 復調するのに10日ほどかかり現在に至る。 ふと、1本目のnote記事を読んでみた。 自分を満たすために必要なことが書いてあった。 そうだったね。 もう一度、始めよう。 ◆2021年6月10日からほぼ毎日書いています。今

note時間の効果

21時台の晩ご飯。 久々に遅い時間になった。 オットは時間管理が上手だ。 年末年始も お盆も 休日も ほぼ6時に起きて 23時過ぎに寝る。 だから 朝ご飯は7時ごろ 晩ご飯は19時半ごろ。 おぉ、 朝ご飯から晩ご飯まで約12時間。 この12時間は私の自由時間だ。 せっかく ほぼ決まった時間が 確保されているのに 最近どうにも浪費が目立つ。 何やってんだか。 ただ、浪費が目立つと 有意義に過ごせたことも際立つ。 ちゃんと父をサポートできたり 運動したり学んだり

連続100日

確か昨日の投稿が99日目だった 幻の777日連続のあと 1ヶ月半でまた途切れて その後、ちょくちょく途切れていた ↑この投稿で 私は何のために書くかは決めずに ただ毎日投稿を積み重ねてきたから 書いた結果から「何のために」を見つけたいと書いている そんなことを思ったことを、すっかり忘れてたよ 遅まきながら探ってみた このnoteの目的は自己評価だ 何をして 何に気づき どう感じたのかの記録だ やってやりっぱなしにせずに 自己評価することは 私にとっては重要なこ

noteを書く時間が決まらない(150字)

どうやら 23時ごろに しっかり眠くなるというのは 私にとっては 規則正しい暮らしを過ごしている 証のひとつのようだ ということは noteを書く時間を 変えはくてはいけない そもそも 夕方書くのが理想だったはず どうすれば 夕方書けるようになるだろう 最近の生活リズムだと なんだか難しそうだ 困った いつ書くのが無理がないのかな

毎日note復活に必要なもの(250字)

776日続けた毎日noteが8月に途切れて以来 ちょくちょく途切れている 先週も寝落ちして1度途切れたので そこから再開して今日は連続6日目だ 途切れても 翌日にはまた書く それは書く習慣ができたからだろう だけど 何を書くとか いつ書くとか どう書くとかいう ルーチンはできない ルーチンを作るには 目的が必要だ 何のために 何を書くのか? 「何のために」を見つけるのが得意な人と 「何を」を見つけるのが得意な人がいる 私は「何のために」を考えないまま 「何を」

約2年半の間に、途切れたもの、続いたもの(150字)

776日続いたnoteが 777日目に途切れて 再開したけど 50日に届かず途切れて また再開して 今日で11日連続になる 毎日投稿は3度途切れた そのたび再開しているから 123週続いて 29ヶ月続いている 毎日投稿は3度失敗したけど 毎週投稿と毎月投稿は 失敗せずに継続中 noteだと こういうことが一目でわかるのが いいね

ありゃ、1ヶ月半でまたしても(150字)

776日で途切れて 再開して 今度は47日で うっかり途切れた 続ける執着とか プレッシャーとか なくなったんだなぁ だけどやっぱり書くの好きなんだなぁ どんなに深くじっくり頭の中で考えていても それだけでは存在が見えない 言葉を書く 絵や図を描く noteを書くのはそんな時間だ だから 途切れても再開できる 存在確認なのだ

まだ暑いけど夏の終わりはもうすぐ(100字)

777日目に途切れて 翌日から再開したnote この記事が45日目だ その間に 日の出は遅く 日の入りは早くなり 朝晩は涼しくなった 金曜日は中秋の名月だ まだまだ暑い日が続いている だけど 季節はちゃんと巡っているのだ

連続18日を逃したショックより、777日を逃した方が小さい理由を考える(700字)

昨日の記事に友人から「続けたからこそ」というコメントをもらった。 それで、改めて なぜ意外なほど凹まなかったのか考えてみたくなった。 ●続けるほど途切れたショックも大きくなると思っていた一昨年の6月にスタートした私のnoteは 18日目に一度途切れている。 その後、776日続けた中には必死で繋いだこともある。 例えば、日付が変わる2分前に走り書きだけで公開して書き直したり。 連続〇〇日という数字は 成果のように感じて励みになる。 しかし、そこだけを頼りにしてしまうと う

途切れて凹んでも(250字)

note毎日投稿途切れた。 昨日は毎日連続777日目だった。 だけど、気づいたときには 無情にも0時16分… そっかぁ 途切れちゃったかぁ というのが正直な感想。 そりゃあ残念だけど そこまで落ち込まなかったのが 我ながら意外だった。 777日目を逃したのが ちょっと悔しいけど。 それと同じくらい ちょっと肩の荷がおりた気もした。 誰に背負わされたわけでもない 自分で勝手に背負った毎日note。 この記事の最後で書いたことが そのまま実現している。 昨日途切

書けない夜に思うこと(200字)

書けない。 パッと浮かんだことを ササっと書いて公開できる日もあるのに。 だけど、そんな日は ネタも言葉にする焦点も絞れているのだと気づいた。 逆に、今日は 浮かぶネタは多いのに どこに焦点を当てるかを決められないのだ。 夜の都会みたいに ヘッドライトがキラキラ流れるけど 1台1台はよく見えない感じ。 慌ただしい日々というのは こんな日が続くことなのかもしれない。 まずは深呼吸して 今日ホッとした ささやかな情景を思い出そう。

note、何を使って記事を書く?(200字)

記事は基本Macで書く。 だけどnoteは、つぶやきのような記事でも 毎日何かしらの気づきを書くことを優先しているので iPad でもiPhoneでも書く。 今日はその中間。 iPadにBluetoothキーボードをつないで書いている。 なんだか少し日本語変換に違和感があるけど やっぱり画面上のキーボードよりは断然早い。 入力方法は進化していて 音声入力も挑戦したいけど躊躇してしまう。 独り言は多いのになんでだろう?

毎日投稿3年目に突入して思うこと(200字)

昨日の記事で毎日投稿2年に到達した。 投稿したあとで気づくので 昨日の記事は2年到達記念とは思えない 日常の気づきだ。 ときどき自分の記事を読み返してみる。 この2年、それまでと一番変わったことは 諦めなくなったことだと思う。 習慣化が苦手で やってもやっても途切れる。 だけど諦め悪くまた再開する。 それは自分に必要で効果的だと知っているから。 この記事の最後に 今日途切れて凹んでも明日書けるか?とある。 書ける気がする。