見出し画像

夜勤担当者の憂鬱

 連理の枝という言葉があるが、我が家はその言葉で形容できるくらい仲の良い夫婦生活を送ってきたと思う。僕はあまり感情の起伏がない方で、妻は睡眠が十分で美味しい食事があればご機嫌なので、このあたり注意をしていれば喧嘩になることはほとんどなかった。しかしポンが生まれると生活は一変する。自宅での育児が始まると夜は断眠になるだろうし、食事の用意もままならない日も出てくるだろう。

 僕は睡眠第一主義の妻の機嫌が悪くなることを恐れていたので、産後ケア施設から戻ってきた日から夜の授乳担当を申し出た(料理は以前から僕の担当だった)。
 妻は10時くらいに就寝し、そこからポンと2人の時間が始まる。僕は0時、3時、6時に授乳して、8時頃に起きてくる妻と交代して仮眠する生活になった。
 時々見せる笑顔や、ミルクを飲んだあとの「飲んだりましたでー」という満足げな表情に癒される一方、途中でガサっと音がしたら目を覚ましたのかと見にいき、グハッと声がしたら呼吸は大丈夫かと見に行く心配性な面もあって、なかなか安眠できなかった。
 3日くらいになると体の疲れを感じるようになったが、まだまだやっていけるという気力があった。しかし1週間すると、普段は何も思わないことにも一言言いたくなる気持ちが沸々と湧いてくるようになった。
「僕は夜中眠れず疲れているのに、なぜ食器を洗おうと言ってくれないのか」
「僕は夜中できるだけ泣き声が聞こえないようにあやしているのに、どうして泣いているポンをしばらく放っておくのか」
 これらの言葉は喉元まで上がってきたが、睡眠不足で気が立っているせいだと頭では理解していたので、外に出すことはなかった。

 1週間の夜勤が続いた頃、妻が「もう眠い」と言って、9時頃に寝た日があった。僕はそのあと朝になるまで4回くらいミルクをあげてヘトヘトになっていて、翌日は食事を作る気がなくなってしまった。いつもはさっと作れる空芯菜炒めが、どうしてもできない。
 まだ体力と気力の限界ではなかったけれど、この生活があと数日続けば妻に向けて罵詈雑言を発してしまうかもしれないと感じた僕は夜勤勤務の変更を申し出た。妻はやる気を出していた割に1週間でおしまいかという感じだったが、背に腹はかえられない。
 翌日からは午前3時までの授乳は妻の担当、それ以降は僕の担当とシフト制に変更し、疲労回復のために週1回のベビーシッターも入れることにして、僕の精神状態は回復していった。

 僕は新生児期の過酷な授乳を1週間くらいしか経験していないが、睡眠不足からくる苛立ち、相手を起さないように配慮しながら夜間授乳する孤独さ、昼間に引きずる疲労など、世の母親の苦労を少しは理解できたと思っている。
 最近は街でお母さんたちを見かけると、皆この時期を乗り越えてきたのかと、畏敬の念を感じる。考えてみれば、僕の母親も睡眠不足で血走る目をこすり、怏々として時には涙も流しながら、幼い僕にミルクをくれたのだろう。幾星霜を経て、育児をする立場になって、改めて母の偉大さを実感している。
 そして今日もどこかで夜の授乳を担当している男性陣にねぎらいの言葉を送りたい。あなたのお陰で家族は助かっているはずなので、心身の健康を保ちつつ、一緒に育児を続けていこう。いつかこの経験が佳肴となって、一杯飲める日が来るはずである。




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集