イスラーム法研究者がサブジェクト・ライブラリアンになった件について:下積編(1)文学部図書室目録係
4月から筆者は,東京湾の内奥にある研究所附置図書館で働いている.先月までは国際学会でポスター報告したり,紀要原稿をまとめていたりしたのに,1日で世界がガラッと変わってしまったかのような感覚がある.しかし,今年度も研究報告の予定は入っていたり,まだまだ研究者として(その卵として)なすべきことは残されている.今回は,研究者の道を志した結果,図書館司書(所属機関ではその特殊性からサブジェクト・ライブラリアンという語を使うことがある.今回はそれに倣うこととする)として働くことを選択した諸々の経緯と偶然について記しておく.特殊な事例であり,これから求めていたものと追求できる環境かは不確定な状態ではあるが,分野によっては大学だけが研究者の道ではないことを同志諸兄姉に認知してもらえれば幸いである.
状況説明
経緯の前提として,2023年度までの大学院の状況と筆者の関心について共有しておきたい.2023年度段階で,筆者は博士課程5年目,いわゆるオーバードクター状態だった.博士課程初期は留学も検討していたが,コロナ禍で物理的に渡航できなかった(民間財団で予算も取ったのに......).そうしているうちに年次は上がり,毎年どこかで研究報告をする機会をもらい,また紀要などを通して,博論のための小ネタと資料は国内にいながらにしても,それなりに整ってきていた.同期は皆優秀でDC1をとったあと,コロナ禍特例で期間を伸ばしながら3年半から4年で学位を取って出て行った.他大学の隣接分野の博士院生は休学などを挟みながら,うまく博論執筆をこなしているようだった.一方で自堕落な筆者は,休学を挟んで期間を延ばしたとしても博論を書ける気はしなかった.標準年限以降は独立家計であっても授業料免除の対象とはならず,そうした経済的負担も休学を避ける要因の一つであた.結果として,なし崩し的に休学なしの5か年追放計画に足を踏み入れていた.幸いないことに(?)所属研究科には,満期退学後3年以内に博論を提出すれば,課程博士の権利が残る制度もあったため,それを踏まえれば8か年計画となった.
また筆者は修士時代より,私鉄沿線の小さな個人塾で働いていた.待遇面は破格とはいえないまでも,複合機の使用や,作業スペースの提供,研究会や出張による予定変更,そして何よりも税制面でよくしてもらっていた.休学しても,留学もせず博論を書き続けるだけでの生活ならば,大学にいる分だけ支出が増えていく.所属があって研究費を獲得するメリットもあったが,海外調査よりもまずは博論というべき段階にあっては,そのインセンティヴも低かった.それならば,大学は休学せずにさっさと満期退学して,今までのように講師収入を確保し,博論執筆を続けたほうが,経済的にはプラスになることが予想された.
加えて,指導教員の存在にも触れなければならない.私が修士で研究室に入学したときに指導を仰いでいた教員——世界でも指折りのイスラーム法学研究者だが——は2022年度で定年退職していた.もちろん,その後新たに着任した教員とは指導関係にあったが,それもあくまで形式的なものであった.同時に元指導教員とは,退職後も院生有志でおこした勉強会に参加を仰いだり,別の原稿執筆のアドバイスで継続的にお世話になっていた.その意味で大学に所属していなければ享受できないものというのは,学位授与以外ほとんどなかったことも.休学を選択しない要因だった.
その折に舞い込んできたのが,3年ぶりの某研究所図書館司書の採用募集だった.
筆者の関心
イスラーム法学と図書館司書(もしくは図書館情報学),この2つがキャリアとして関係していることに気づくのは容易ではない.もちろんその間には,筆者自身の属人的な事情もある.以下では,博論の原動力となっている研究関心と,同時に次回わたって大学院時代の図書館関連のキャリアについて説明する.
このアカウントの他記事にもあるように,筆者の関心は一言でいえば,中世イスラーム法制史である.そこからキーワードを追加するならば,北アフリカとアンダルスを中心とするマーリク派法学で展開された,所有の原因が曖昧な土地の法規定が関心の中心にある.「所有の原因が曖昧な土地」とぼかすのは,その種の土地の性質がそれぞれ異なるからである.ある土地はジバードの結果として,敵が離散した後に残された土地であり,またある土地は村落共同体から離れた沙漠地や荒地を指すこともある.そうした土地の運用や規定については,法学書中ではある程度議論の蓄積があるにもかかわらず,これまでの研究は征服地に限った研究くらいしか,また都市生活での土地の効率運用の研究しかなかった.筆者の目指すところは,中世にあった僻地運用の現実というより,それをめぐる法体系を練り上げていく過程で,イスラーム法のもつ領域概念や,所有権をはじめとして法的権利の概念の記述を厚くすることにあった.幸いにも研究資料となる法学書の類は,校訂が進んでおり,そのほとんどがいまや刊本で利用できる状態にある.これらを駆使しながら,マーリク派の僻地法制史を書いてみようというのが,試みの素描である.
ここにいたるまでも紆余曲折があった.といっても,それはイスラーム法学の伝統上必然だったのかもしれない.元指導教員がテーマについて「難しいよ」以外,特にコメントしなかったのは,それを予想していたのかもしれない.修士まではイスラーム史初期の征服地運用について関心があった.その過程で法学上の「無主地」に分類される土地の法規定について関心をもち博士の最初の1年はその研究に費やしていた.2年目以降は当該規定の地域性に目を向けるようになり,それが北アフリカ・アンダルスへと,そしてマーリク派法学へといきついた.博論としての風呂敷の大きさを考えるにあたって,所有が曖昧な土地の共同利用について絞ったのも2−3年目の時期であった.この時期に博論の目次構成にひと段落がついていない時点で,進捗は芳しくない.しかしここからが博論に耐え得る理論構築が難航した(というか今もしている).4年目以降は土地と為政者の関係で掘り下げてみたり,イスラーム法学と環境権の観点から考察してみたりと,各論的な報告をいくつかこなした.4年目末,先の指導教員が退職するタイミングで博論目次案が大まかにできあがった.しかしその際に,イスラーム法と所有権にまつわる,大きめの宿題を渡され,その検討をつけるのに1年近く費やしてしまった.
以上の経緯で,博士5年目を終えてめでたく(?)満期退学と相成った.同時に博論審査までの3年の時限爆弾がスタートした.これまでもこれからもつくづく思い知らされたのは,個別の報告や論文を書くことと博論原稿を書くことの,頭の使い方の違いである.断片的とならず,かつ研究史上の趨勢をキャッチアップした構成に,書いて並べては修正しての毎日である.
図書館情報学への関心:文学部図書室目録係
こうした研究上の進展と苦悩を抱えながら,筆者は修士で研究室に所属して以来,さまざまな縁で図書館に関連する業務にも従事していた.最初はルーティン業務のための人員供出だったが,それはいつしか図書館情報学という学問への関心に移った.今回はその端緒となった職場を紹介する.
大学には必ず図書館があり,そこには全学でもしくは部門ごとに調達した図書が排架されている.しかし図書は調達即利用できるわけではない.経理の問題もあるが,図書館がそれを所蔵登録しなければ,貸出はできず,大量の蔵書から検索することもできない.現在は,国立情報学研究所NIIが提供するNACSIS-CAT(https://contents.nii.ac.jp/catill/about/cat/about)というシステムを利用して,それぞれの大学のOPAC(Online Public Access Catalog)の所蔵登録に必要な書誌を整備する.筆者がまず,研究室のルーティン業務として供出されたのは,文学部受入図書の書誌作成と所蔵登録を行う目録係のジュニアTAだった.この慣行は,ある種の受益者負担である.弊学文学部には独立した図書室があるが,その実態は所属部局や研究室の蔵書の一部が移管されて構成されている.もちろんその蔵書は同図書室が管理していたが,同時に各研究室の図書室への所蔵登録も,一括して同目録係が担当していた.そのため,各研究室にとっては図書管理業務の一部を目録係に外注すると同時に,その労働力も併せて供出していることになる.
加えて,英語や主要な欧米言語以外を扱える人員リソースの問題もあった.目録係にはジュニアTA以外に数人の目録担当者がいたが,彼ら/彼女らだけで文学部が受入れるあらゆる言語の図書を網羅できるわけではない.ジュニアTAは基本的に,自らの研究過程で使用する言語の知識を提供する立場にあった.筆者であれば,最初はアラビア語要員として参加し,所蔵研究室の受入図書や,東洋史研究室の図書の所蔵登録と書誌作成を担当していた(なぜか最後には,ペルシア語,トルコ語,オスマン語の書誌も作成していたが).
ただ,決して十分なスタッフが確保できているとはいえず,部署内には常に登録待ちのブックトラックが4台ほどスタックしていた.また供出体制についても,各研究室の院生在籍状況に左右されるため,目録作業というある種の職人的な業務は,修士の入学者が途絶えると容易く受け継がれなくなってしまうこともあった.実際に,今年度の所属研究室の修士入学生は0人だったと聞き及んでいる.博士課程に進学してもそうした供出に参加せざるを得ないこともあるが,それが博士課程を3年で終えられることに貢献しているのか,またはその経済的支援になっているかはあやしい.特に後者については2019年段階で,予算の都合上,ほぼ最低賃金の時給であった.
e-Learning教材による図書館情報学への入門
とはいえ,目録係が筆者の図書館情報学への関心の出発点となった役割は大きい.今思えば,講義や演習で図書館情報学を履修したことすらない学生が,一人で書誌を作成できるようになるまでのおよそ半年以上,マンツーマンで書誌の添削を施してもらったことは,この上ない贅沢なリソースの投下だった.その過程について振り返るとともに,これから大学研究室や図書館で図書業務に従事する必要がある,意欲ある者と善良なる労働者のために,いくつかのツールを紹介しておきたい.
目録係の業務を始めたてのころは,研修としてNACSIS-CATサイトにあるセルフ・ラーニング(SL)教材(https://contents.nii.ac.jp/hrd/cat_sl/2015)で,同システムの構造と書誌作成の基礎的な事項を学習した.同研修は,元来NIIが主催していた目録システム講習会の一つであった.しかし2015年度に教材と演習課題の充実によって,SL教材が講習会を代替する研修として機能するようになった.SL教材は大きく2つのパート,CAT編,ILL(相互図書館貸借Inter Library Loan)編で構成されており,CAT編は図書パートと雑誌パートに分かれ,それぞれに教材と修得テスト,課題,セルフチェックテストが備えられている.当時筆者はCAT編の教材をこなしたが,映像資料だけで3時間半を超えるボリュームがあった.それだけに初心者であっても,NACSIS-CATによる共同分担目録作業のしくみや,書誌情報の構成,その作成のための情報源について一通りの理解を得ることができた.
NACSIS-CATは2020年8月に,CAT2020として新たな基準のもとで運用されることになった.その際にも筆者は,同サイトでCAT2020のシステムや規則の特徴を職場のスタッフとともに,学び直している.今後日本目録規則や目録システムが大きく変わる際にも,同サイトが都度研修教材をアップデートしていくものと思われる.その意味ですでに図書館情報学や図書館業務に触れている者にとっても,キャッチアップすべき情報であろう.
マンツーマンによる書誌情報の採録
SL研究は目録システムの通則を効率的に学べるが,一方で言語ごとの特殊事情,ローカルルールについては触れていない.その点について目録係では,スタッフにマンツーマンで,アラビア文字による図書の書誌作成の機微を伝授していただいた.特にユニークな事情として挙げられるのが,アラビア文字からラテン文字への翻字規則や著者標目の作成であった.翻字規則については,目録係では米国議会図書館LCの「ALA-LC Romanization Tables」のアラビア語版(https://www.loc.gov/catdir/cpso/romanization/arabic.pdf)を参照していた.同時に,柳谷あゆみ先生が東洋文庫所属時代に公開された「アラビア文字資料整理簡易ガイド」(http://tbias.jp/wp-content/uploads/2010/01/appendix2nd.pdf)も有用である.同ガイドは,LC翻字規則をもとに日本語による説明を起こし,かつ中東地域で出版される図書の書誌情報をどの部分から取るべきかを解説している.まずこれをみて書誌の作法を確認し,仔細をLC翻字規則で確認する方法をとっていた.
またアラビア文字の翻字の入力については,それにかかわる者がそれぞれのやり方で対応していることだろう.筆者はAlt-Latinというプラグインを入れて特殊ラテン文字の入力に対応している.この件は,いずれ研究ツールの紹介で触れることになるだろう.しかし業務用の共有PCなどでは,ソフトの導入のハードルは高い.その点で,Lexilogosのmultilingual keyboard(https://www.lexilogos.com/keyboard/index.htm)はブラウザ上で特殊ラテン文字の入力が可能となっている.これらのツールを使用しながら,書誌作成初期段階では,スタッフとともに,実際の資料から項目ごとに必要な情報の採用を行なっていた.
採用すべき書誌情報の見極めができてくると,スタッフの手を一度離れ,先輩院生の監督のもとで書誌作成が始まる.一人で作成している横で先輩が適宜コメントをして,書誌を完成させていく.場合によっては2人でスタッフのもとに対応を相談していくこともあった.これは筆者が業務を始めて後輩が参加するようになってからも同じであった.それは書誌作成の勘所を「教える」ことで,目録規則やシステムへの理解を深めることにもつながった.また院生とスタッフの3人で頭を突き合わせて,ケースバイケースに対応を協議していくことで,アラビア文字書誌作成のローカルな事情を垣間見ることもできた.
仮書誌を通した赤ペン先生
さて,そうして一人で書誌を作成できるようになっても修行はつづく.というのも,ジュニアTAが作成する新規書誌は,仮登録扱いとなっており,常にスタッフの添削を経た上でNACSIS-CAT上に登録されていたからである.その過程でスタッフから,筆者が作成した書誌にコメントをもらうことも幾度とあった.その度に日本目録規則2018年版や英米目録規則第2版AACR2,NACSIS-CATのコーディングマニュアルなどから,修正の根拠をが提示され,スタッフの親身な修正のアドバイスは目録の知識を増やすだけでなく,目録作業における独立独歩の心構えと方法を伝えてくれた.ときには,これらの参照源以外にも,ライブラリアン間の研修資料を引っ張り出してきて,最近の動向,書誌作成を担う専門職員の間で共有されている問題意識についてもフォローしてもらった.2年近く経つと,この関係は互いに構築的なものになっていった.業務として書誌を作成する以外にも,その合間に筆者も書誌の取り方について疑問を提示し,それについてさまざまな情報源から解決に足る根拠を見つけることも,一つの楽しみであった.
目録業務は決して博士論文のための,また研究者としてのキャリアに直結するものではなく,経済的にも十分な対価が支払われていたとはいえないが,筆者の図書館情報学への関心と以降のキャリアは,こうした豊かな土壌から芽を出したと自負している.日々の業務をこなしながら,目録の「も」の字も知らなかった学生に惜しみないリソースを割いていただいた目録係に感謝するとともに,その支援に値するキャリアを歩むプレッシャーを刺激に変える心意気で今はいる.
2020年9月で目録係のジュニアTAを離れることになったが,それは次回のトピック,開館したてほやほやのアジア研究図書館での目録スタッフとしての活動につながっていった.