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〜ある女の子の被爆体験記2/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。
爆心1.9km、コンクリートの遮蔽、列車の中での経験
もしも私たちが、爆心地1.9kmの地点で被曝したら、一体どのような人生を送ることになるでしょうか。
今日は広島駅で被曝した、私のおばさんの話をします。
15歳、広島駅の列車の中で
ノブコは目の不自由なおばあちゃんと広島の土橋(爆心地から850m)というところで、二人暮らしをしていました。その朝、ノブコは土橋から路面電車に乗り、国鉄の広島駅につくと呉行きの電車に乗りました。夜中に2回、空襲警報があったので、その日の朝の電車は遅れが出ていました。夜の空襲警報のために、ノブコは眠い目をこすっていました。
ノブコは広島駅の構内で、列車に乗りました。呉の学校へ行く途中でしたが、学校といっても学徒動員で、兵隊さんの服を作る工場へむかうところでした。
爆心地から1.9km。電車は発車が遅れていて、蒸し蒸しとした車内で乗客たちは出発を待っていました。昨晩の夜中の空襲警報はみんなを寝不足にしていました。呉線の列車は、ボックス型の向かい合わせの椅子が並び、真ん中の通路には吊革につかまって乗客が立っていました。窓ガラスは開けていましたが、外は見えません。というのも、木で出来たブラインドを閉じていなくてはならなかったからです。呉の近くを通る呉線の電車からは軍港が見えるので、軍情報の漏洩を防ぐため、ブラインドは閉じるきまりでした。
ガタンゴトン。車輪が動き出しました。椅子に座っていたノブコは、汗を拭いました。
1945年8月6日朝8時15分の原爆投下の瞬間、ノブコは何が起きたのか全く分かりませんでした。
突然、ドカン!ゴオーという、衝撃。
何が起きたか、自分の体がどうなっているか、わからない。頭が真っ白になし、床に突っ伏していました。顔を上げると、目の前のおじさんの顔に細かくたくさんのガラスがささっているのが見え、近くにいた女の子は頬や腕にガラスが刺さって血を流し、放心状態になっていました。ガラスは床に散らばり、座席や人の上に小さなナイフのように刺さっていた。列車が揺れ、ホコリが舞っている中、倒れた乗客たちは、少しずつ体を動かし始めました。
ノブコは立ち上がって、ブラインドを開けると、こなごな割れたガラスの破片がバラバラと落ちた。
「あ、ごめんなさい」
座席に座っていた人にそう言おうとおもったけれど、外の光景に、言葉が飲み込まれてしまいました。目の前に広がったのは、火を吐く雲が空を奪っていく様子でした。よく見ると、その横を小さい銀色の点が2つ、遠くの空へ真っすぐ飛んでいきした。
飛行機かな。
ノブコはそう思いました。でも空襲警報は無かったし、よくわかりませんでした。ただ、大きな雲と火花が大きくなっていくのが見えました。大きな雲は見る間に空に広がり、あるところには火花が散っていて、別のところでは稲妻が見えて、見たことの無い大きな爆発のように見えました。火を噴く雲が空を覆っていく様は、異様でした。
「なんじゃ、ありゃ。雲が火を噴いてる。こりゃ、大きいぞ」
「火花が入ってくるから、もう閉めろ」
「空襲警報も無いしな。あれはきっと、ガス爆発だろう。タンクが爆発して、燃えたんじゃろうよ」
けがの少なかった車内の乗客たちは、爆発の正体について話し始めました。結局、「爆発の正体はガスタンクの爆発」という意見がほとんどで、みんな納得していました。まさか、空襲警報も無い中、たった一発の爆弾で、あんなに大きな爆発をおこせるなんてだれも想像ができませんでした。
発車したはずの列車は、爆発の衝撃で停まってしまいましたが、突然、
ガタン、ゴトン
と動き始めました。まさにこの列車が動いたことは奇跡でした。そして、この列車が、8月6日、広島から呉へと向かった最後の列車となりました。
ノブコはこのあと、呉へ行きますが、そこで沢山の火傷を負った人々をのせた軍のトラックを何台もみます。異様な光景に驚きながら、
「おばあちゃんを探しにいかなくちゃ」
と、考えました。ノブコがこの後どうしたか、次の機会にまたお話ししますね。
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原子爆弾はには3つの作用があります。
1.放射線 2.熱線 3.爆風 です。
8月6日、ノブコの命をかろうじて救ったのは、遮蔽の影響が大きいと考えられます。 けれど、火傷や外傷を負っていなくても、原子爆弾の場合には、目に見えない放射線被曝の影響が潜んでいる可能性があります。 原子爆弾の熱線、爆風による外傷は、その後の健康に大きな影響があります。同時に、外傷のない傷も体の奥底に染み込ませています。放射線です。
被爆者の証言やデータは、私たちに、核兵器の影響について詳細に教えてくれています。だから、私は、被爆者の方々の残してくださった声に余さず耳を傾けて見たいと思いました。 明日は、遮蔽の無いところで被曝した方の原爆投下直後のお話をしましょう。