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服を育てるという発想

流行ものでもハイブランドでもないけれど、これを着ていると自分の重心が安定し、心なしか堂々としていられる(いられた)・・というような服、誰にも1着はありますよね。

私の場合は、母からおさがりでもらった紫紺のウール地のステンカラーコートです。

名前は覚えていませんが、オーストリアのメーカーのものでした。近衛兵のコートのような角ばったシルエットで、レザーのくるみボタンに可愛らしさがありました。共布のケープをつけると探偵そのものなので、大学時代は多少周りの目を意識してケープを外して着ることが多かったです。脇の下がパックリ開いたデザインで、腕を上げるとコートの下に着ているものが丸見えになるため、電車で吊り革につかまると大抵、座っている人がそこに目をやるのでした。

普段は出がけに鏡を見て「なんか変かも?」とそわそわすることの多い私ですが、このコートの出番が始まる冬は密かな自信を持てていたような気がします。まぁ、素敵とか似合うとか言われてたわけじゃないんですけどね。

20年近く着たでしょうか。ついに、お尻の部分が、向こうが透けて見えるほど薄くなってしまいました。

そして、捨てました。

任務はじゅうぶんに全うしてくれました。

でも、捨てるんじゃなかったと10年以上経った今でも、心から悔やんでいます。オーストリアのメーカーに直接問い合わせたり、リメイクを受けてくれるお店を探したりと、方法は色々あったはず。しかし残念なことに私は、1着の服にそこまでのエネルギーを注ぐという発想(もしくは教養)を自分の中に持っていなかったのです。

世間の評価はどうあれ、自分にとって価値のあるモノの修復に時間やお金や知識を使うことは「自分を生きる」ということだし、蘇った服と歩み続ける日々って、オリジナルで贅沢だなぁと思います。

昔は、自分でツギハギをしたり、お直しに出して同じものを使い続けている人を見ると、「モノ持ちがいいなぁ」「節約していて偉いなぁ」なんて思っていました。しかし今はそんな人に出会うと、その修復プロセスと二者の絆を想像して、心底羨ましくなるのです。

私はもう50歳になるけれど、人生の後半を一緒に歩きたい服や持ち物が手元にどれくらいあるだろうか。

これからワードローブの仲間になる新人をどういう視点で選ぶべきだろうか。

衝動的な物欲や流行の誘惑とどう折り合いをつけていこうか。

そろそろ秋ですねー🍂。

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