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「やるかやらないかの人生」しか生きられないと、今、こんな感じ。

脱力系ヨガティーチャー、かわもとまゆこです。
ああ、インドに行きたい。
写真はスートラ・ネティ。自分の鼻の奥の構造がわかって感動する。
ああ、ここから牛乳は鼻にいくのね!的な。

今これを書いてる時点で、年齢38歳。
今回は今までの38年間、「そんなことってある!?」な連続の人生を
ご紹介します。

【現在の状況】

●2010.8生まれ長男GAGくん、2013.12生まれ次男AGEくんとの3人暮らし
 いわゆるシングルマザー。
●ヨガティーチャー
(通常、グループレッスン週6本・プライベートレッスン週2〜3本
 →現在コロナで0。。。)
●兼、在宅の業務委託で、オリジナルの寝具・健康器具・美容商材の企画・開発・販売会社のPR業務他(今はこれに助けられてます!ありがとうございます!
●絶賛学校休校中で、早朝仕事、午前中は子供に勉強させて、午後から仕事、あっという間にすぎる毎日…
●自粛のお供は、鬼滅の刃・宇宙兄弟・ナスD の大冒険・アフターマン・あつ森・海の映像が延々と流れてるやつ・トゥルシマサラチャイ

「やりたいことしかやらない」幼少期

凝り性の父と天然気味の母のもと、兵庫県川西市に生まれる。
生まれただけ。
すぐに父親の赴任先岡山に。
3歳までいて、岡山弁を喋っていたらしい。

その後、祖父母近くの大阪の団地へ。記憶があるのはここらへんから。

よく泣いた。
二階下のけんちゃんによく泣かされてたのに、小学校入学して国語のノートに書かされた好きな人の欄に、けんちゃんの名前を書いて、母に驚かれる。

小学3年の時、少し離れたところの分譲マンションに引越し。
市立なのに、廊下と教室の間の壁がなく、チャイムが一切鳴らない新規設立の小学校に通う。

螺旋階段を登った塔の上の図書室が、大好きだった。
小3でミヒャエル・エンデの果てしない物語を読了したのは、私の数少ないちょっとした自慢。でもラストが衝撃で打ちのめされた。

ぽっちゃりをだいぶ通り越した体型だったので、からかわれまくりで、コンプレックスの塊だった。

この頃から、もうチョコレートが嫌いで、給食のチョコレートムースを、「これはデザートだから食べる必要がない」と主張して残そうとしたけど許されず、悔しくて泣いた。
多分先生は、出されたものはありがたく食べる精神を教えてくれていたのだけど、「体に必要な栄養素でないから」という理屈がなぜ通らないのか、当時は全く理解できなかった。正直、育てづらい子供だったと思う。

「やってみたらやれちゃった」青年期

小学校の卒業文集の時点から、「声優になりたい」という夢を語っていた私。
高校受験の時、アートな校風の学校を希望するも、親に却下。
今の大阪府知事と同じ高校に進学。
(あの知事、若いなーと思ったら先輩だった。。)

こんなだから、大学受験も揉めに揉めて。
大学なんか行く気なくて、専門学校のつもりだったから、平気で物理や数学0点とか採ってた。

で、高校3年の夏休みに、東京の専門学校行きたいって言ったら、そもそも上京禁止、一人暮らし禁止論の親と、案の定大喧嘩。
「東京の上から三つくらいの大学やったらいかせたってもええけどな!!」
逆上した父に怒鳴られて、あと半年しかないのに受験勉強開始。

その結果、滑り止め6つ、全部落ちて、
先走ってまた怒鳴られまくった次の日、東京の某大学に合格。

国・英・小論文のみの学部に絞ったとはいえ、奇跡としかいえない。
英語が記述がなくて選択式だったから、運以外の何者でもなかった。
今思うと、中途半端なビリギャルみたい。

あまりの出来事に、「人生甘く見とったらあかんぞ」と、担任に謎の捨て台詞を吐かれる。

「やるかやらないかしかない」20代

大学入学で上京して、一気に自由を満喫。
大学の授業も、ネズミやカエルを解剖したり、心理学で催眠術的なことやったり、なんだかんだで楽しかった。
でも、やっぱり一番やりたいことじゃないという思いが強くなる。

そんな時、帰省中父親に、「お前の行ってる学部は、学費は最高なのにレベルは最低だって聞いた」と急にディスられる。
完全にモチベーションがわからなくなり、お金貯めて声優の養成所に入所、大学中退。

声優事務所の預りになったり、劇団に入ったり、お芝居がすごく楽しくて、貴重な経験もたくさん出来た。

後ろ盾が全然ないから、全部自分の意思で掴んでいくしかなくて、がむしゃらに足掻いてもがいて、毎日必死に生きてた。
初めて行った現場で、「それはこうするということですか?このほうがいいですか?」って聞いたら「ここ、稽古場じゃないんで」って言われたのが、プロフェッショナルの厳しさを知った日。

悔しくて泣くことも多かったけど、いいこともたくさんあった。
大好きなゲームのアフレコ現場に行けた。
高校の時、大阪からわざわざ見に行った池袋サンシャイン劇場の舞台にもたてた。

充実してたけど、生き急ぐ毎日に、疲れはじめてもいた。

「結局やりたいことでしか生きられない」30代

29歳で同業の人と結婚、出産。
両方の親に挨拶は済んでたけど、両方に反対されてて←ペンディング中に、妊娠。もちろん怒られる。
でも20代のうちに子供を産みたい、と思っていて、29歳2ヶ月の時に出産。つくづく、やりたいようにしかやらない奴、私。

年一本くらい舞台に出させてもらいつつ、32歳の時、次男出産。
その頃から、家の金銭問題で喧嘩が絶えなくなる。
結果、「俺、この人と結婚するから、離婚して」って驚きの昼ドラ展開に発展。

そんな時に、住んでた家も取り壊すから退去してと言われる。
なんだ、このタイミング。
怒涛の別居から調停を経ての離婚に。

「人の本性がわかるのは、窮地に陥った時と、自分に正義がある時」って言葉が、今となってはすごく身に染みる。
あの時、いろんな正義は私の方にあったけど、それは人を傷つけていい免罪符じゃないってこと。

勝手な妄想で、常に周りからだから言ったじゃんと言われてるみたいで、流石にこの時期はどん底。食べても食べても、痩せた。
上の子年中、下の子まだ1歳。一年前から無職だったから、お先真っ暗。

…と思いきや、在宅仕事、決まる。
幼稚園も変えないでいいし、生活もできる。自分の人生すごいと思う。
正直、結婚してる時より、金銭面も生活も格段に楽になった。
あと、この頃、何度おみくじを引いても、ずーーーっと大吉だった。
何かに、全力で励まされてる気がした。

二人の子供の世話して、在宅で仕事して、人形劇サークルやダンスサークルで地味に舞台に上がったりして、またもや必死に生きる。あれ、また必死だな。
在宅事務の仕事はすごく助かって感謝してるけど、少人数の会社で社長のセクハラ、モラハラがかなり激しく、長く続けることを断念。そろそろ、自分はやりたいことしかやらない、やれないことに気づいてくる。

その時出会ったのが、ヨガ。今までの人生で、体験一回しかしたことないのに、「あ、ヨガだ」そう思った瞬間、資格取得に申し込む。

「やるかやらないか」は「やりたいかやりたくないか」

1馬力での資格取得は、母が手伝ってくれたりもしたけど結構大変で、全身蕁麻疹だらけになったりした日もあった。
でも、次席で無事一発合格!

即座に働ける場所を探して、レッスンを開始。
最初はグループレッスンのはずなのに、0人、もしくはマンツーマンの日ばっかり。それでも、毎回その人のためにシークエンスを練りに練って続けた。

その人たちは今もずっと続けてくれているし、レッスンの人数もだんだん増えて、何より、今は0人の日は全くなくなった。

在宅の仕事も、ついに今年から別の仕事に切り替えることができた。ついてる。

「やりたいことばっかやってても生きていけない」何度もいろんな人に言われた。でも、「やりたくないこと」やってみたこともあるけど、結局全然できなくて、続かないの。
じゃあそんなもったいない時間を過ごすより、やるのはやりたいこと!って決めちゃってからは、めっちゃ楽ちん。

目の前しか見えてない、一つのことしか同時にできない人間だから、
挨拶しそびれる(信じられないかもしれないけど、本当に気づけない
世間話が苦手(何を話していいか全くわからない
集中し始めると全く聞こえない(もはや集中しすぎないように常に気を付けてる
これが、目下の課題。
よくインストラクターやれてるな、私。
だから目の前の人、物、事に対する真摯さは、負けない。
それしか見えてないからね!

ヨガは、人生の必要な時にやってくる。
今、ヨガが必要になった人たちのところに、
たんぽぽの綿毛みたいに、たくさん種を飛ばしていく。
それが、目下のwithコロナで「やる」と決めた事。

綺麗にまとめたけど、
家は完全に汚部屋だし、掃除洗濯大の苦手で母としてはどうなのだし、
子供とキーキー喧嘩してばっかりだし、極度のめんどくさがりやだし。
そんなみっともなくて、ダメな自分が嫌で、必死に隠そうとしてたけど、なんかもうダメでカッコ悪いのも、出していこ、と思って書いたのが今回のお話。ここまでくるのに38年だ。

最後までお付き合いいただき、
ありがとうございます!
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