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コロナ時代の不安との付き合い方。100年続く日本古来の森田療法から学ぶ生活の智慧

 マインドフルネスは日本の禅からヒントを得て、1979年に西洋で開発された精神療法ですが、日本には大正時代にすでに、マインドフルネスに近い考え方の精神療法が開発されていました。それを森田療法と言います。今から約100年前に開発されたにも関わらず、人間の無理のない生き方についての核心をついた内容で、現代の生活にも役立つ知恵で溢れています。ストレスを減らし、無理なく、味わって痩せていくというこの本の内容に通じるものがあるので、森田療法の有用な考え方をいくつかご紹介したいと思います。


円環論(えんかんろん)


森田療法の一つの考え方に、「円環論」というものがあります。円環論の反対は「原因結果論」です。私達の生活に馴染みやすいのは、原因結果論の方で、結果には必ず原因があると考えるため、何か起こると原因を突き止めようとします。科学や医学の発展のためには有効な考え方ですが、現実の生活では必ずしも原因と結果が一対一で対応している訳ではありません。仕事でAさんがミスをしたという時に、「Aさんが気をつけていなかったからだ」と原因を一つに特定して、「次から気をつけるように」とだけ告げても、同じミスを繰り返してしまうことがあります。Aさんの努力不足が唯一の原因と決めつけずに、何が起こっていのるか、全体の状況を確認することでうまくいくことがあります。Aさんは確かに不注意ではありましたが、上司からたくさんの仕事を任されていて、連日残業が重なり、睡眠不足になっていたので、無理もありませんでした。ただ、「上司が部下の仕事の管理が出来ていないことが原因」で、上司を悪者にしていいかというと、上司は上司でAさんを含めた部下達の仕事のエラーのカバーに入っていて、余裕がなく、全員の仕事全体を俯瞰して把握することが難しくなっていたのです。つまり、「上司に余裕がない→部下の仕事量に気を遣えない→部下にミスが増える→上司に余裕が増々なくなる」という風に悪循環になっていることがわかります。これは「鶏が先か、卵が先か」と同じで、上司と部下のどちらから先に原因を作ったのかを問い詰めても意味がありません。この様な悪循環になっていることを把握して、悪循環から脱する策を考えることが大切です。例えば、商品番号がAZTEP0014の商品とAZTMT0014の商品があったとして、その番号を目視だけで区別して分類するという仕事においては、人間の注意力で完全にミスを防ぐことができないでしょう。人間の能力を過信せず、バーコードを読み取らせるようにしたり、商品番号を読み間違えにくいものに変えるなど、ミスを防ぐ仕事のシステムに整える必要があります。今回はミスが起きそうな分かりやすい例えを使いましたが、そうでなくても、ミスが生じる多くの場合、「気をつければ防げる」という精神論の問題ではなく、ミスが起きやすいシステムになっているものです。
原因結果論では、原因(悪者)探しに陥りがちで、原因はあってないようなものなのに、それを無理に突き止めようとすると、お互いに軋轢が生じていらいらや疲労に繋がり、ストレスから過食も増えるでしょう。原因結果論だけでなく、円環論という考え方も覚えておくと役に立つと思います。


両面観(りょうめんかん)


 難しい言葉に聞こえますが、何事にも光と影、表があれば裏もあるという考え方です。私たちは何かに失敗したり、大切なものをなくして悲しくなったり、将来のことを不安に思ったりします。そういったネガティブな感情、不快な気持ちが一切なくなったら良いのにと思ったことがあるかもしれません。確かに私もそれらが無くなったら、人生がどんなに楽になることかと思います。しかし、悲しみや不安にはネガティブな側面しかないのでしょうか。試しに全く悲しまず、不安にならない人を思い浮かべてみましょう。その人は、どれだけ大事な人を失っても、全く泣くこともなく、落ちたら死んでしまうような崖にたっても不安にはなりません。もうお分かりでしょうが、「悲しみ」や「不安」といった不快なネガティブな感情にも意味があります。悲しいという気持ちがあるから、大事なものを失わないように気をつけ、大事なものがあることに感謝することができます。不安という気持ちがあるから、危ないところに近づかないように気をつけ、将来の危険に備えることができます。影があれば反対側には光があるのです。この本を手にとってくれているのも、体重が自分の理想よりも多くてまずい気がして不安だからかもしれません。その不安の裏側には、長く健康に生き、人生を楽しみたいという気持ちや、見た目をよくしたいといった希望があります。人間の欲求と、恐怖や不安は、コインの表裏で、切っても切り離せないもので、どちらもなくなることはありません。


精神交互作用


もし、不安や不快感を0にしようと格闘してしまえば、不安や不快感に注意が集中し、ますます不安や不快感が大きく感じられてしまいます。これを森田療法では精神交互作用といいます。
空腹感に関しても、空腹感を打ち消さなければと意識が集中するほど空腹感が気になって苦しくなり、余計に食べてしまうのです。またそれを繰り返すうちに、「空腹感を収めるにはすぐ食べるしかない」と思い込むようになり、空腹感にうまく対処できないという自信喪失が起り、空腹感がまた訪れるのをいつも恐れるようになり、不安が募っていくのです。
本来あって然るべき不安や不快感を無理に打ち消そうとすることで、このような悪循環が起き、ますます不安や不快感に捉われてしまいます。

空腹感が生じで不安を感じたら、森田療法の両面観、精神交互作用を思い出して頂き、空腹感や不安をありのままに受け止めてみましょう。その上でマインドフルに食べて、楽しみながら、健康的になってもらえればと思います。体重への不安を直視されているからこそこの本を手に取って頂いていると思うので、この話は余計なお世話かもしれませんが。

自然論:不快感や苦痛も一定ではない。そして人生に欠くべからざる存在である

 自然には逆らわない、服従する。そのまま、あるがままにあるという考え方です。あるがままというと難しそうで少し怪しい感じもしますが、なるべく不自然なことはしないようにしよう、といったイメージを持っていただければと思います。
 食欲は本来人間に備わった自然な感覚であり、それに逆らって食事制限をすると、反動で余計に食べてしまう、この考え方はすでにこれまでも紹介してきました。。また、両面観で説明したように、不快な感情や感覚にも意味があり、それを完全になくそうとしたり、すぐに消そうとしたりすることも無理がある、不自然なことです。私達は、不快感や苦痛は消すべきものとこれまで教えられてきたことが多いかと思います。「悲しいとかの感情はまだしも、不快感なんてない方が良いに決まっているし、必要のないものだ」と思われるかもしれません。しかし例えば、空腹感という不快な感覚も人間にはとても大切で、全く感じなければ私達は食べることを忘れてやせ細っていき、死んでしまうでしょう。何とか生きるために食べようとしても、お腹が空いていないので、何を食べても美味しいと感じることはなく、面倒な毎度の食事がまるで苦行のように感じられるでしょう。空腹感があるからこそ、私達は食事を食べようとし、美味しいと感じるのです。空腹は最高のスパイスと言いますが、空腹感にも多くの意味があるのです。
 他の不快な感覚、例えば「退屈感」や「孤独」についてはどうでしょうか。退屈だと感じなければ何か他のことをやってみようとは思わず創造的な人生にはならない可能性があります。孤独を感じない人は人と関わることはなく、そこから喜びを得ることもないでしょう。退屈や孤独があるからこそ、私達は人生をより豊かな、感動に満ちたものにすることができるのです。
悲しみや孤独なども人生の醍醐味として愛することができれば、文字通り「酸いも甘いも」噛み分ける深みのある人物と人の目に映ることでしょう。
 お腹が空くのが許せないからと無理に大盛りで食べたり、暇や孤独で口さみしいからと何となく食べたりと、不快感を短絡的な方法で過剰に排除し続けていると、そのしわ寄せは体重や健康に現れていきます。

感情の法則


ネガティブな感覚や感情は自然なものとして、そのまま置いておけば、頂点に達したのちに自然と消えていきます。これを感情の法則と言います。感じたくないからと避けていると、むしろ長引くものです。
不快感や苦痛、不安を即座に排除しようとする背景には、すぐに対処しないとそれらが減っていかないとか、増していってしまうのではないかという不安があることが多いです。しかし、良いものも悪いものも、この世ではずっと続くことはなく、出たり消えたり移ろいゆくものなのです。そして、作業をしているといつの間にか空腹感が消えていることがあるように、不快感や苦痛、不安は何か対処しなくてもたいてい消えていきます。
例外としては、食事をとる必要のある本物の空腹感であればまた再び強まってくるのでしたよね。また、ほっといてどんどん痛くなってくる痛みなどの症状はすぐ対処する必要がある異常事態かもしれませんので医師に相談しましょう。つまり、ほっといて消えていくものはほっといていいもの、消えないものはほっといてはいけないもの、です。


コラム:森田療法とマインドフルネス

 マインドフルネスは「意図的に、価値判断をすることなく、今この瞬間に注意を向けること」というものでした。不快感や苦痛、不安を「排除すべきもの」と考えることは、「価値判断」をしていることになるので、マインドフルな対応とは言えませんね。森田療法でも不快感や苦痛、不安を「ありのまま」に受け止めるので、なんとなく似ていますね。森田療法とマインドフルネスがどう違うのかは、専門家の中でも諸説あり、学問的な答えは出ていません。ただ、どこが違うんだろうと疑問に思う人もいると思うので、私の中での個人的な感覚をお話したいと思います。
マインドフルネスでは不快感や苦痛、不安に対して注意を向けてみる実践ですが、ここでいう「注意」とは、それらに全集中して支配されてしまうのではなく、ただ「気付く」ということを目的とします。一方、不快感、苦痛、不安に対して積極的に注意を向けることを促さないのは森田療法の特徴と言えるかと思います(森田療法では『自然に』『結果的に』気付いたことを大切にするような印象があります)。
森田療法では、「練習のための練習はしない」という言葉があります。精神統一や腹式呼吸という練習方法で、楽になることにこだわるのではなく、自分の望んでいることのために行動し、その体験を感じることを大切にしています。森田療法の視点でみると、不安や苦痛をコントロールせず「ありのまま」に受け止めるために、瞑想といった手段でコントロールしようとするマインドフルネスは「練習のための練習」に見えるかもしれません。確かに、生活を豊かにするために始めたマインドフルネスのはずが、マインドフルネスを極めることに時間を費やすようになってしまっていると目的と手段が逆転していることになります。その様に囚われすぎていなければ、マインドフルネスを通して新しい気づきを得ることは有用だと思います。これはどちらが正しいかというよりは、その人にどれだけあっているかであり、正解はありません。本番を意識した実践的な練習が必要な人もいるでしょうし、その様な練習をするための筋トレが練習のための練習として必要な人もいます。
それぞれの精神療法に利点があるのですが、今回のダイエットに限ったことでいえば、マインドフルイーティングでの、能動的、積極的に食事へ注意を向けるという方法がより分かりやすく、満足感が得やすいのではないかと考えました。

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