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#19【選】「選べる」ことの喜びを子どもたちにも

渡タイから2か月が経過しました。
特に「早いなー」と感じることもありません。
むしろ日本の1学期のほうがマッハだった・・・

サワディーカップ。
「選べる」って素敵ですよね。
今日の夕飯を「選べる」、
財布の色を「選べる」。
これだけで、かなり僕らは人生が豊かになっていると思うのです。

公立校の子どもたちの「選択肢の少なさ」

僕が公立校の子どもたちと触れ合ったのは、5年前の塾講師時代にさかのぼります。
あの頃の僕は、とにかく与えられたことを覚える「知識注入」としての教育にまだまだ重く価値を置いていたころでした。
だからこんなこと考えなかったんだと思います。
東京都下のまったりした地域の子どもたちでしたが、
あの頃、公立校の在り方について疑問を持ったことはありませんでした。

今、タイで関わっている日本人の子どもたちはほとんどが公立校出身だったり、日本帰国後も公立校へ戻ることを希望しています。
そして、タイの日本人学校もまた、(実際は私立ですが)教員異動などもふくめて公立校的な学校運営をしているように感じます。

彼らを見ていて思うのは、
彼らが学校や「学び」という枠組みでのプロセスにおいて「選択肢」を与えられる機会が少なすぎるということ。

もちろん「ア~エ」の選択肢は与えられますよ。
でも、その択一問題にこたえるための学びのプロセスにおいて、
彼らは言われたことをこなすことに精一杯になっているように思います。

服装しかり、持ち物しかり、あだ名禁止ルールしかり。

「自由に解き放て」という話をしているんじゃありません。
僕もルールは大事だと思います。
それが教育なら。
だけど、あまりに細かく、刑務所みたいにがんじがらめのことが、
大人も「教育」だと認識しないまままかり通っていることが多いように思うのです。


教員も右から左へこなさなければならない

この原因はどこにあるのか、
少なくとも僕の母校や勤務校といった私立校では感じなかったモヤモヤ。

その一つとして僕が考えるのは、
教員自身が与えられたマニュアルをこなすことに精一杯のシステムになっているということ。
異動先の学校ごとに異なる様々なやり方に対応することが業務のほとんどを占めてしまい、
そこにクリエイティブさやオリジナリティは求められない。

こういうヒドゥンカリキュラムを教員側が醸し出しているように思います。

教員が正しいと思ってやるんだから、
そりゃ生徒にもそう伝えるし、直接伝えずとも伝播していくのは当たり前。

話題の「ブラック校則」も、
「先生が説明できなきゃだめじゃん」
って言いますが、
そりゃ説明できないですよ。
右から来たものを左へ受け流しているんですから。
それを変革していくという考え方は残念ながら学校現場には欠けているように思います。

公立校への一つの提案

もちろん公立校の先生方でもクリエイティブな活動やご実践をされている先生方と多く出会ってきましたし、
僕の知らない中で工夫しながら闘っている先生方はたくさんいらっしゃるんだろうと思います。
しかし、そういう先生方が「目立つ」のはおかしい。
公務員であっても、「この地域を良くしたい」「この学校を良くしたい」という正義感の元であれば、
前例をどんどん変えていくことが可能なシステムを作るべきではないか。

そのシステムの一つとして提案したいのは、
「異動制度の廃止」です。
そもそも3年で学校や地域の複雑な中身を全部知ろうなんて無茶です。
しかも知ったところで異動を命じられるならモチベーションも起きません。
公務員の例でいうと、
「3年世田谷区役所に勤めた後、3年調布市役所ね、そのあと島に3年ね」って言われてるようなものじゃないですか。
役所なら、役所内の部署異動ですよね。

なら、いっそ学校間の異動は原則廃止して、
校内での学年異動や校務分掌をもっと潤滑的に回していく方が健全だと感じます。

選択肢があると喜ぶ子どもたち


選択肢の話に戻ります。
こっちで子どもたちと接していても、
選択肢を与えると子どもたちは喜びます。
小学校低学年の子が「どれかお菓子一つ選んでいいよ」と言われて喜ぶのと同じくらい、
中学生の子が「ワークどれくらい進めるか決めていいよ」と言うと喜びます。
この時、これまでワークをどれくらい進めるかということ自体が、
彼らの決定権としてなかったんだなと気づきます。

迷路もお化け屋敷も、一本道だったらつまらないじゃないですか。

僕はもっともっと子どもたちに「選択肢」を委ねたい
「与えられたことも出来ないのに選択肢なんか与えるな」ではなく、
「選択肢を与えられるからこそ、選択肢にもならない部分はしっかりやる」のではないのでしょうか。

まとめ

選択肢を与えられていない子たちを、「思考・判断」させることはとても時間がかかります。
正直、前任校のような環境を求めてしまう自分もいます。
でも今は、目の前の子どもたちに「選んでいいんだよ」と伝え続けることが、
僕の使命であるように思います。

あとは、「放任」とのライン引きをはっきりすること。
特に中学生の段階は明確にしたい。

選択肢のない生活、辛くないですか?
毎日「ガパオライス」は、きつくないですか?
いや、これは僕が選んだ結果そうしてるんできつくはないですけど。

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