20200326 「世の中は『生成化育』するもの」だから「日本とは○○」ということはとてもリスキーなのよ。
第1論では、「弐本論」は「有」と「無」の間を揺れ動きながら、「無」そのものにアプローチしていくものと結論付けました。
さて、それでは、そもそも、私たちの住む「日本」は「有」もしくは「無」で語れるのでしょうか? 今回は、日本が「有」だった場合に考えられる、厄介な問題を試験的に一つ論じてみようと思います。
日本が「有」の場合の厄介な問題
さて、もし、日本が「有」の世界に存在すれば、何からの存在として表現できるということになります。
昔、高校生の頃、帰国子女だった私の知り合いの恋人が、アメリカの高校で、「日本を知るために、弓道と茶道を始めました」と言っていました。
そこで、私は冗談半分にして、「弓道も茶道も嗜んでいない、俺は日本を知らないってことか」と言ってやると、知り合いは顔を真っ青にしていました。恋人の自慢だったんでしょうが、私に嫌味になっているとでも感じたのでしょう。
いじわるに言えば、「日本を知るために、何からのハウツーが存在する」という前提で、知り合いの恋人は考えていたわけです。それって逆に言えば、特定の訓練や勉強をしていないと、日本について無知ということになってhしまう。さらに、嫌味をつけくわえると、「日本初段」とか「日本検定1級」とかも出来るわけです。
「日本検定」と「京都検定」はイコールか?
そうなると、思考実験です。
皆様、ご存知でしょうか? 「京都検定」という試験を。
この京都検定の目的はこう書かれています。
京都検定を通して京都を知り、学び、そして感じることで、
今まで知らなかった京都の魅力が見つかるはずです。
京都を学ぶ一歩を踏み出すと、新たな世界が広がります。
京都検定で、京都の魅力あふれる不思議の扉を開いてみませんか?
この京都という言葉を日本に置き換えてみましょう。
日本検定を通して日本を知り、学び、そして感じることで、
今まで知らなかった日本の魅力が見つかるはずです。
日本を学ぶ一歩を踏み出すと、新たな世界が広がります。
日本検定で、日本の魅力あふれる不思議の扉を開いてみませんか?
何とも言えない、違和感が残るのは私だけでしょうか?
京都の時には存在しなかったはずの違和感が、日本に置き換えると発生する。その正体は一体なんでしょう。
「京都」はステレオタイプ(固定観念)が存在する。
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