静かなサンカルパ
わたしは占星術やホロスコープには詳しくないのですが、
3月21日の春分の日がいわゆる「宇宙元旦」で、
この日を境に新しいチャプターが始まる、という話はよく聞いていました。
今日は、この宇宙元旦周辺で起きた気づきと、
その中で見えてきた「大切にしたいこと」について書こうと思います。
宇宙元旦に向けた、大精算
へー、すごそうな日だな。新しいこと始まるといいな。と思いつつ、
正直なところ、例年と同様、ほとんど気にかけていなかったのですが、
3月の2週目頃から、徐々に心にたまった澱のようなものが浮上し、
どうやらこれは、春分の日に向けて色々と精算することになるぞ、
と思わざるを得ないような、怒涛の日々が続いていました。
"もう欲しくない"と思っていたものが、
そう思い込むようにしていただけで、実は欲しくてたまらないのだと気づきました。
手放せたと思っていた信念が、
「手放し済」というラベルを貼ってしまい込んでいただけで、
実は暴かれ、注意を向けられ、抱きしめられるのを待っていたということに気づきました。
"本当に良い絵や文章"は、執着のない、穏やかで開かれた気持ちでいられるときにのみ生み出されるのだ、という決めつけから、
自分が持つ、表現への渇望を無意識に抑圧していたことにも、気づきました。
今日は3月23日で、「宇宙元旦」は過ぎたものの、お正月気分?(と言うには、怒涛の正月だった…)が抜けず、
おきた出来事のひとつひとつを書き記すエネルギーは溜まりきっていないのですが、
その代わり、わたしが本当に大切にしたいことの輪郭がわかってきたので、
「サンカルパ」を書こうと思います。
サンカルパについて
サンカルパとは、サンスクリット語で、
意図や決意、自分自身への誓いを意味することばです。
「フルマラソンを完走する」や「毎日日記を書く」といった抱負もサンカルパには違いないとは思いますが、
今回の経験で、わたしの中で浮き彫りになったサンカルパは、
何かを達成する(Doing)というよりは、
どちらかというと、自分のあり方(Being)への、
静かで、凛とした、コミットメントでした。
わたしの中にあるサンカルパ
書いてみると漠然としていて抽象的なのですが、
言い換えると、こういうことです。
いつでも迎え入れて、支えてくれる場を持つこと
その場の中で、誰かに私という存在を"目撃"してもらったり、誰かを目撃すること
差し出されたサポートや、繋がりや安心感を、感謝して享受すること
自分はそれに値するのだと分かっていること
そして、自分のいのちの願いを叶えるために、必要な物語をきちんと展開させていく(=行動する)こと
このサンカルパが心の中に現れたとき、
『いやいや、自分の願いだけじゃなくて、他の人の願いや幸せに貢献しなくていいの?』という思いがよぎったのですが、
結局のところ、わたしがわたしの願いを大切に扱い、それを叶えてゆくのであれば、その過程で、なんらかの形で必ず他のいのちに貢献しているのだと気づきました。
というよりも、何をしても、しなくても、
すべてのいのちが、ただ存在するだけで貢献しているのだ、
いや、「貢献しないことなんて、したいと思っても、できないのだ」ということにも。(ちょっと脱線しちゃいましたが、ここはまた別の機会に書いてみようと思います)
おわりに
心とは常に変化していくものなので、
わたしは「これがわたしで、これがわたしの願い!!」というものは
あえて作らないようにしていました。
でもこのサンカルパに関しては、宇宙元旦のエネルギーなのか、
「行きたい方法はこっち。そっちじゃなくて、こっち」と、
強烈に導かれた感覚があったので、言語化してみました。
しばらくの間、わたしは、このサンカルパを胸に、
コミュニティに属したり、作ったり、
この人大好き!と思う人に会う機会を増やしたり、
家族と過ごす時間の質を高める方法を考えたりしながら、
自分の中でモゾモゾとうごめいている「これがやりたい!!」に、
ひとつひとつ、着手していこうと思います。
そしてこれを読んでくださっているあなたも、
あなたの美しいサンカルパを、ゆっくり時間をとって、
湧き上がるままに書き連ねる時間を取ってみてはいかがでしょうか。
もし、あなたのサンカルパが、
わたしと同じように「つながり」を大切にしたいというものであれば、
今後もInstagramやnoteに遊びにきてくれたら嬉しいです。
つながりあい、サポートしあい、
互いの存在やいのちのきらめきを、目撃し合いたいです。
Webサイト:Deep Unlearning with Drizella
読んでいただき、ありがとうございました!
ドリゼラ