ドリゼラ
この記事では、こちらの3つのご質問に関して考えてみました! 「スピ沼に陥っちゃうなんて、自分はダメなやつだ」と、スピにハマっている自分をさらに責めてしまいそうな人にお読みいただきたいです。 私の考えの結論からお伝えすると、 占いにハマるのもスピ沼か? →ご本人にとってその状態がしんどければYESだと思います スピ沼から出た!と思っても、戻ることあるか? →はい!新しい "理論"や、よく売れているキャッチーで面白いスピ本に出会うと、一時的に自分の力を明け渡してしまう、もし
インスタのストーリーで、ゲリラ的に質問を募集しました。 色々な記事やインスタ投稿でお伝えしている通り、私は何かの講師や専門家ではないため、「正しい回答」はできません。 もしも同じことを親しい人に質問されたら、私はどんなふうに考えるかな?という観点で考えてみました。 あくまでも、私(ドリゼラ)という、ひとりの人間の考えであることをご理解ください。 その上で、特にこのご質問は「死」に関する内容を含むため、 強い希死念慮をお持ちの方や、精神疾患等のメンタルヘルス上の健康問題を抱え
スピ病みから脱するために必要な3原則自主性を失って「ふわふわした状態」、 自分責めで苦しむ「ギュッとした状態」から脱して、 自分の本来の輪郭を取り戻すにはどうしたらいいでしょう? 「自分」を「王国」に喩えて考えてみました。 1.自主性を取り戻す(王国の主権を取り戻す) 自主性というのは、自分の中に、ちゃんと自分がいることです。神とか宇宙とかスピ講師じゃなくて、 他の誰でもない、自分がいることです。 例えるなら、それまでは神とか宇宙とかスピ講師の植民地と化していた「自分」と
インスタを始めるまで、 「スピリチュアルにハマっていた過去」は、 それ自体が、私にとって大きな恥でした。 私は、スピ友を作ったり、スピ系のオンラインサロンに入ったりはしておらず、 一人でこっそりとスピ本やスピ系ブログを読み漁り、アファメーションを唱えていたタイプのハマり方だったので、友達や家族とはスピリチュアルな話は一切しませんでした。 「地に足のついたしっかりした現実的な女性」だと周囲から思われたかったので、 自分がスピリチュアルに興味があるということを、絶対に誰にも知ら
先日投稿したこのリールが、 予想を超える反響を呼びました バズり散らかしたというわけではないのですが、 エンゲージメント(コメントやメッセージをくださったり、シェアしてくれたりすること)が非常に高かったように思います。 「泣きました」というお声も非常に多くいただきました。 サッとスワイプすればすぐに次の動画に移れるのに、素通りせず、立ち止まって、 このリールを深く味わってくださったこと、とても嬉しく思います。 DMをやりとりさせて頂いた数名の方にはお伝えしたのですが、 改
長い間、 自分のこころと、身体と、生活を慈しむなんて、 身の程知らずだし、自分には似合わないことだと思っていました。 そういうのは、雑誌に出てくるようなきれいなモデルさんや、 丁寧な暮らし系インフルエンサーがやるものであって、 わたしには、そんなことをする価値はないと信じていました。 それが、セルフケアやトラウマケアに励み、 「安心しても死なない」 「自分を大切にしても怒られない」ということを学ぶにつれ、 少しずつ、自分の暮らしを大切に思えるようになりました。 そうして
トラウマ治療とフェミニズムについての学びのおかげで、 ハナコは少しずつ、ほんとうに少しずつ、変わっていきました。 自分の気持ちや感覚を否定したりせずに、 ただそのままに感じられるようになりました。 いちいち感情に「よい」「わるい」「波動が高い」「低い」といったラベルを貼らずに、すべてが自分のたからものだと思えるようになりました。 いい気分でも、そうじゃなくても、そのとき、そうある自分のそばにいることができるようになりました。 スピリチュアルな考え方自体は、ハナコはやっぱり
ハナコは、それからも自助グループに通いました。 ある日の座学で、ハナコはフェミニズムについて学びました。 それまでハナコは、フェミニストというと、 お化粧やおしゃれをせず、小さなことに目くじらを立ててはいつも怒っている男性嫌いの女性たちのことだと思っていましたが、実際は全く違いました。 フェミニズムは、女らしさ、男らしさの型に人を押し込めず、すべての人がありのままで生きられる社会の実現を目指すものでした。 ハナコは、自分がこれまで「女性」というものに対して、つまり自分自身に
自助グループ当日。ハナコは不安を抱えながら、村役場のすみにある小さな集会室に足を踏み入れます。キラキラした装飾もなければ、音楽もかかっていない、とてもシンプルな部屋でした。 そしてそこで、予想外の人物を見つけました。 なんと、シンデレラの、あの「意地悪な姉」がいたのです。 彼女はかつて、シンデレラをいじめた醜悪な女として、国中から悪口を言われました。 ハナコは、あの有名な「意地悪な姉」というくらいだから、不機嫌でムッとした、悪く言えばまるでおとぎ話に出てくる怪物のような女性
ハナコは、自分に起きた良い変化を、村に住む、 他の悩める女性たちにも伝えたいと思いました。 それに、実を言うと、願わくば、ハナコもいつか本を出版し、 「伝える側」「教える側」の仲間入りをしたいと思いました。 ハナコは小さな商店につとめ、毎月きちんとお金を稼いでいましたが、 『ワクワクしない仕事を手放し、自分ビジネスを始めれば宇宙のサポートが入りすべてうまくいく』と学んだからです。 それに実際、いまの仕事は、特別苦しくもないけれど、 好きではありませんでしたし、自分に合ってい
シンデレラが生まれた家からから少し離れた場所に、別の村がありました。 その村に、ある女性が住んでいました。彼女の名前はハナコです。 数年前、シンデレラが王子様に見初められて幸せをつかんだという話は、彼女が住む村でも大ニュースになりました。 人々はみんな、シンデレラは心優しく、美しく、そして辛い時も希望を見失わずに前向きな気持ちを忘れなかった、素晴らしい女性だと称賛しました。 シンデレラの存在は女性のロールモデルとして語られ、村の女性たちは皆、シンデレラのようになりたいと願いま
「ホスピタリティ精神のある人」? 「気が利く」「相手の気持ちに立って考えられる」 「優しい」「気遣いがすごい」「礼儀正しくて丁寧」 社会に出て仕事に就いてから、 上長からもらえるフィードバックは大体そんな感じだった。 業種自体はサービス業ではないけれど、 業務の中で私は、人の関わり方や、ホスピタリティ面のことばかりが評価されていた。 だから、数ある部署の中でも、 顧客との密な関わりや、接遇が求められるチームに配属され、ずーっとそこにた。上司からすれば、 "適材適所"
スピ疲れの日々スピリチュアルの世界に一瞬でも傾倒したことのある人にはわかると思うけれど、ジャンルが無数に存在し、しかも履修科目がべらぼうに多い。 辛酸なめ子さんの著書「スピリチュアル系のトリセツ」では、 スピリチュアル女子の分類として、「占い系、パワースポット系、白魔女系、ハワイ系、前世系、引き寄せ系、陰謀系、アセンション系、宇宙人系」などが紹介されている。(一部抜粋。まだまだある) 興味のある分野を一つ選べたとしても、学ぼう!極めよう!と思うと、えらい疲れる。しかも明確
旅じまいのご提案あなたがもし、何年も、何十年も、 どこか遠くにある(と思っている)「幸せの国」に向かって旅を続けているなら、 残念ながらそんな場所には到達しないので、そろそろ、店じまいならぬ、「旅じまい」することを考えてほしい。 わたしにとって、 それは旅というより、競争だった。 「そこにいるだけでいい」と存在を肯定してもらえたのは赤ちゃんの頃だけで、 多分、5歳か6歳の時点で、「よーい、どん!」の合図を聞き、 「もっと頑張って、もっと幸せに」というレースに、知らないうち
わたしの「成果」ってなんだろう 「自分を愛する」をテーマに、もっとたくさん記事を書こうとするたび、 いつも自問する。 わたしは、いわゆる「成果」のようなものをあげているだろうか? よくインスタのフィードで流れてくるような 「自愛を極めて現実が思い通り♡」になんてなっていないし、 「自分を愛してラクラク月収7桁!」にもなっていない。 「認定スーパーハイクラスウルトラセルフラブコーチ」とかでもない。(そんなのあるんだろうか) 趣味でイラストや文章を書いていて、ふしぎで嬉しい
わたしが子どもの頃、「自分に自信がある」のは、恥ずかしいことだった。 自分の存在を「なんかいい感じ」と思ったり、 自分を褒めたり、自分を愛していると言うことは、 気持ちが悪くて、バカバカしくて、 「現状に満足せずにもっと上を目指そう」という文化から強烈にはみ出た、調子に乗った愚か者の考えだった。 「自分を大切にしよう」という声を上げやすくなった今でさえ、 社会が定める「完璧」の基準に達していない自分を認め、 肯定しすることは、ものすごく勇気のいることだ。 インスタの投稿や、