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100年後のお金がない世界の妄想

成田悠輔さんと近日カブアンドを始められた前澤友作さんの対談にて、100年後を妄想するのが趣味と仰っている成田さんは、今後は徐々に評価がお金に代わる人類の価値基準になると予想されています。

例えば、音楽の曲の価値はこれまでレコードやCDの売り上げ枚数で判断されていましたが、もはやYouTube やストリーミングの再生回数で測られるようになっているように売り上げだけが評価軸ではなくなっています。

同様に、タレントの価値は広告や出演料などお金で測られていましたが、今はフォロワーの数なども評価軸として見られるようになってきますた。一旦スキャンダルで評価が落ちると、たちまちタレントの価値が著しく下がってしまう時代です。

このように、我々の身近な基準もお金から評価へ移り出しているのです。このような評価経済の時代になった場合、どのように生き残れば良いのでしょうか。

評価を得るための行動とは?評価を得るための行動は自分の価値基準と合っているのか?SNSをやらない人はどう生き残るのか?など評価経済に対する疑問は多々ありますが、いずれにせよこれまでと違う点は、評価軸がお金だけではなくたくさんあるということで、各評価軸毎の細かいコミュニティがたくさん産まれるかもしれないですね。人間が狩猟民族だった頃は国などなく細かいコミュニティがたくさんあったでしょうから、戻るということなのですかね。
でも、所属するコミュニティは一つでなく自由で様々なコミュニティに所属できるので、村八分にされ孤立するリスクは小さく、今よりは人類のストレスも小さくなるのかな?もう少し妄想してみましょう。

お金のない世界の作り方【前澤友作×成田悠輔】

今は、人の価値がお金で測られているが、いずれその尺度がいらなくなる。つまり、お金がなくなる。

-お金がこれまで存在してきた理由は、その人がどういう人かを判断する為であった。お金をどれぐらい持っているかでその人の”人となり“が判断されてきた。しかしながらインターネットが発展してきた現在は、各人間に関する情報(XやFacebook, Instagram, 各種SNSなどのその人がどういう人か、の情報。)が溜まってきており、音楽で言えば再生回数などがこれまでの売り上げに代わった評価軸となっており、岡田斗司夫が提唱した評価経済の時代と呼ばれ出している。人に対してもフォロワー数など評価軸が大量にできてくるはず。

-人間の生存の為のコストは過去と比較してだいぶ下がっているが、人間が満たされない原因はお金などによる競争、比較する方向に洗脳されているからではないか。

-お金が要らなくなった世界の場合、例えばスーパーマーケットの商品を全て持っていって良いわけではなく、各個人の評価によって購入できるモノ、量が決まる。その評価を決めるのは今のXのようなプラットフォーマーが担い、評価が最悪だと購入自体できないようにする。


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