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タチヨミ「星原理沙 小説集 その1」天空の国 第1話 

天空の国 第1話 

                        

 

 荷車はガタゴトと小石に乗り上げては揺れて、私は牛のように黙々と汗を流しながら止まらずに引く。一人住まいの、僅かな家財だが重たいものだ。鍋と農具が重いのだろうか。それとも布団、それとも中はほとんど空っぽの行李、その中の古い刀か。
 なぜ、農夫の生まれである父が刀を持っていたのだろう。粗末な古い刀であったとしても。父は武術など全く知らなかったし、理由を聞く間もなく急に病死してしまった。ただ、父にとっては大切なものだったに違いない。
前の戦いのとき、無言でどこからか出してきて刀を私に渡し
「お守りだ」
と言った。受け取ったその短い刀は、刀身は刃こぼれがひどく、何度もこれで敵の刀を受け止めた後のようだった。
荷車が小石に乗り上げるたびに奥歯を噛んで腕や、足に力を入れなければならない。ガタゴトガタゴトという音に、私はどこかへ連れていかれる。私はどこへ行くのか、私はどう生きていくのか、みんな領主が、いや、時世が決めるのだ。
 ここ宇佐八幡宮領宮崎荘は、図師氏の治める平穏な荘園だ。しかし、このところの南北朝とかで東の国の権力争いが、ここにも及んだようだ。私の引っ越しもそのせいで、戦える者を城下に集めるようだ。ここに東の国のことが及ぶなんて。ここは、平家の落人たちが隠れ住むほどの東の国からすれば遠いところなのに。ここは、鯨が潮を吹く大海原から日が昇り、阿蘇へ霧島へとどこまでも続く山の連なりに日が沈む日向国。その連なる深い山々の中に、落人たちがひっそりと暮らす村があるという。
 引っ越しは望んだものではなかったが、今日が晴れの日でよかった、春の日でよかった。道端にはタンポポやスミレが咲き、街道から東を見ると遠い松林まで田畑が続いている。水を入れたばかりの水田に空が写り、風が吹くとさざ波が立つ。海のようだ。
まだ、父も母も生きていて妹が嫁ぐ前、みんなで海へ行ったことがある。平坦で真っ直ぐな道程を松林を目指して歩いた。松林に近づくと風にわずかな潮の香りがする。深緑色の静謐な松林を抜けると、ドドンゴウンと海は轟音を立てていた。私たちは、海岸線を歩き、貝を採りに行った。

 半日荷車を引いて、ようやく家についた。畑のある茅葺の小さな家は、今まで住んでいた家とほとんど同じだ。縁側の前に荷車を置いて、縁側に腰かけて少し休んだ。西の空にまだ日は高く、トンビが3羽輪を描いて飛んでいる。里に下りてきて低く、しかも3羽が狭い範囲で飛んでいるのは春のせいか。白い蝶が、羽を閉じた黄色い蝶を捕まえてどこかに連れていくのも春のせいか。井戸で水を汲み、顔を洗って水を飲む。さてと、片づけてしまおう。
 ひんやりと薄暗い土壁の部屋の床を、雑巾で拭き、部屋の角に行李を置いた。その横に布団を置き、土間に鍋と農具を運ぶと引っ越しは終った。持ってきた芋を炊くのに、薪が必要だ。さて、近くに柴を採りに行くかと思っていたら農夫の男が鍋を持って庭に立っていた。
「誰か越してくるとは聞いていたけど、いつかは知らなかった。俺は三吉ていうもんだ」
「私は心平と言います。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた。
「どこから来たんだい」
「川向こうの浮田から来ました」
「これ良かったら、食べてくれ」
三吉は、鍋を近づけた。
「これは、ありがたい。半日荷車を引いたせいで、はらぺこで」
私は、椀を採りに行き、遠慮なく鍋の中の芋を椀に移した。
「それだけでいいのかい。近いうちに、魚の捕れる場所を教えるよ」
「ありがたい。よろしくお願いします」
三吉は、隣の家に入っていった。
西の空に、日が傾き始め空を赤く染めている。芋を食べて、井戸の水で体をきれいにしてから、布団を敷き横になった。月が照ると蛙が騒がしく田畑に声を響かせるが、星の静けさはもっと広く深く、私はそこへ落ちていくように眠った。





 連載始めます。時は南北朝時代。自然と共にささやかな暮らしを営む農夫である主人公が戦に巻き込まれていく物語です。まずは、主人公心平の大切にしているささやかな暮らしをご覧ください。

                             星原 理沙



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