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【博士の在学体験談】博士課程に進学して痛感。「先生の偉大さ」と「自分のちっぽけさ」
上記連載の第11弾。今回は「学生当時に痛感した『自分の非力さ』は、一生物の財産に化けるよ」という700字の在学体験談です。
博士課程に進学すると「絶望する」という話をよく耳にする。
私も漏れなく何度も絶望を味わった。
一番最初の絶望は、博士進学直後に訪れた。
指導教員(先生)の私に対する態度が、突然”キツく”なったのだ。
「こんなこともわからないのか」
「もっと深く考えろ」
直接言われたわけではないけれど、そう言われている気がした。
今思うと、私をイチ研究者として扱ってのことだったと思う。
実際に、博士進学直後の私は、研究・学問をこれっぽっちも理解していなかった。
修士課程では「自分の研究は自分が一番分かっている」と思っていた。
しかし、全く、一ミリも、そんなことはなく、先生の方が遥か先を見て、理解していることを思い知らされた。
彼は”息をするように”学問を語ることができた。
私にはできなかった。
先生の私に対する態度の変化を通して、「研究の世界では自分がちっぽけであること」や「こんな人と肩を並べないといけないのか」と悟り、自分の非力さを痛感した。
このちっぽけさ(ある種の挫折)は、卒業までに何度も味わうことになる。
けれど、それがものすごく悔しくて、自分なりに学問・研究と向き合って、それでも非力さを感じて、落ち込んで、またがむしゃらに頑張って。
この絶望のループを繰り返して、少しはマシな研究者になれたのではないかと思う。
私は研究の道を選ばずに社会に出たけれど、「ちっぽけである自分」を認識し努力したことで、大きな困難があっても乗り越えられるような、社会である程度は通用する人材になれたと自負している。
「自分はちっぽけだ」と感じている博士学生さんがいたら、今はただただつらくても、それはこの先「一生物の大きな財産」になることを伝えたい。
↓ 連載前回(第10回)の記事。
↓ 連載で書こうと思っている直近のネタを記載。
↓ 私の経歴を参考までに。
Dr. りけ子(Tsugumi)