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3カ月音信不通だった理由が知りたい方用

唐突にTwitterで消える人は居るでしょう。
私もある意味では、その一人だったかもしれない。

でも、帰ってきました。

その理由を、自分の中の自分と話し合う感じで記事を書きました。
言い訳みたいな感じに聞こえるかもしれませんが、それでも書きたい事を書きます。

【注意】猛烈に暗い話です。見た後の責任を取れません。


・会社を休職


まず発端は、会社です。
私の勤めていた会社は業界でも超ブラックでした。
ブラックと言っても休みは取れますが、お金が殆ど貰えない所でした。

なんでそんな会社に入ったかというと、私が全く就職できなかったからなんですよね。正社員どころかバイトや契約社員も受からなかったのです。凄いと思いますが地域的な問題もあり、これ以上言うと個人名がバレそうなので察してください。

だからCMとかで有名な転職サービスの人を頼ったのですが、都市部に出れば仕事があると言われたのです。しかし私の家が父親だけ(母は病死)で、高齢の父が頼りにできる人が遠方住みなので、帰ってくる可能性があるなら地元で就職したかったんですよね。

そんな時に、知り合いに誘われる形で会社に入社。
しかも、正社員で休みも充実。
でも、ノルマが厳しかったんですよね。

自分なりに頑張ってきたものの、給与は減額。税金抜くと1桁万円になったこともありました。これだったらバイトした方がマシと思ったのですが、社会保障は捨てがたかったし、また就職に苦労すると思うと抜けられなかったんですよね。

毎朝毎朝、所長に表に立たされて親の事やノルマが達成できてないダメ人間だの遠回しに言われてきました。同僚からパワハラだのセクハラだの言われてきましたが、ボゲーと聞いてれば終わったので、そこはあまり気にしてませんでした。ただ所長が「私の家を見てみたいし、父親と合ってみたい」と、何かと車で送っていくと言われたのは嫌でしたね。(所長が本部から履歴書取り寄せていると聞いた時は、「マジか」と思いました)

そんなある日、真夜中の3時に担当のお客様から連絡が来てたらしく、対応が出来てないとクレームが入ったそうです。それで上司に呼び出されて第一声が「会社に来るな」でした。

「アンタ足引っ張るだけだ。もう来なくていい。だから病院に行け」

その言葉を聞いて、ホッとしたのを覚えてます。
すぐに心の病院に行きました。
結果、病気として診断され、休職になったのです。

それで父親に黙って休職を取ることになりました。
父親に黙ってた理由として、幼い頃から細々とした病気で散々苦労を掛けてきましたし、父は物凄い苦労人です。しかも論理的じゃないと聞き入れてくれないし、話す時も理解できないと大声で「はぁ?!」「えぇ?!」と聞いてくる人です。楽しくない話をする時はめちゃくちゃ怖いし、苦労を掛けてきたのだから迷惑を掛けてはいけないと思いました。

でも、今思えば、この時に喧嘩してでも話してればなと思いました。
恐らく、当時の私は戦える気力が私になかったのでしょうね。


・FF14のイザコザ


休職中は、転職活動をしながらFF14をやってました。
小規模のFCに所属しているのですが、まぁ大変でした。
FCハウス資金のノルマや、レイド攻略、週2回のイベントなどなど……。

楽しいと言えば楽しいですが、会社のようなやり取りが増えていきました。しかも何かミスる度に、始末書を作ってました。
特に遅刻は厳しく、1分でも遅刻したら反省文でしたね。
(事前に言ってあったのですが、薬の副作用で寝坊が多かった)

正直、心の病気してる人間には厳しいですよね。
でも、一番ヤバいと思ったのがFC内でのイザコザでした。
人間なのですれ違うことがありますが、いつの間にか私が仲裁役となることが当たり前になってきました。

結果、FF14の情報を見るだけで苦痛になってきたのです。
1人でやるのは嫌いじゃないのですが、どうしても強迫観念に苛まれるのです。やがて創作活動にも支障を起こし、義務でFF14をやっているという感覚になっていきました。

そこで意を決し、FCを脱退を考えました。

でも、FCを抜けるとなると、FF14のサーバーの変更をしなくちゃいけない。
そう考えると涙が落ちました。過去に出会った出来事や、知り合った人々、頑張ったハウジング……思った以上に、今のサーバーに愛着があったのです。

だから、FCの活動を一旦お休みすることを報告してみました。
抜けるかどうかは、まず距離を取ってみてからでも遅くは無い。
距離を考えてみれば悪くないかもしれない。

結果、あっさりと了承してもらいました。
その時に、私の病気で周りの方々が心配してくれてたことを聞きました。
「何でもっと早くに教えてくれなかったんだ」と思いますが、私が行動しなかったからでしょうね。

だからFCには現在でも所属はしてるが、幽霊部員みたいな扱いになっております。(やるとしても、リスキーモブの報告ぐらい)
それでも昔のように気楽にやれるようになってきました。



・親子の関係


FF14リハビリをしていると、休職の期限が迫ってきました。
そこで、父親と仕事のことで話し合う事になりました。その際に一切全ての事を告白しました。

父は言葉尻がキツく、論理的じゃなければ聞き入れてくれません。しかし私は文章では饒舌でも、言葉にすると詰まることが多く、今でも上手く伝えられたかどうかと言われると微妙な所です。それでも頑張って今の状況を言葉で伝えました。

すると父は落胆し、心の病は気の迷いだといってました。一緒に病院に行っても、回答は同じままでした。理由として、病気やケガと違って心の病気は明確な傷があるワケじゃないですから、本人がそう思ったならそうなんだと思い込むから病になるのだということでした。

これだけ聞くと、理解できない人なんだなと思うでしょう。
私も家出も考えました。
でも、必ず最後に言ってくれるのです。


「たとえ何が起ころうとも一緒に背負う。だから、抱え込むな」


それだけです。
たった一言なのに、涙が溢れてきました。

もっと甘えて良い。
もっと色々言っても良い。
自分の気持ちを言っていい。

今までは、父に苦労を掛けまいと必要最低限しか報告しませんでした。
就職も仕事も病も、自分で解決できると思っていました。
でも、私はそんな器用じゃありません。

「もっと話してほしい。口下手でもいいから、話してくれ。解決の方法を一緒に考える」

何が起ころうとも、手助けする。
その言葉を、もっと早くに聞いていれば、未来は違ったのかもしれない。

母が生きている時に戻れたら、母を不安にさせなかったでしょう。
仕事が見つからなかった時は資格を取ることも考えても良かったでしょう。
休職になった時は、もっとしっかりと休むことができたかもしれません。

でも、それは過ぎた事。今できることは今だけです。
しかし、長く願っていた親子としての関係を改められただけでも十分変わったでしょう。



・現在の状態

正直言うと、1日3回は泣いてます。
食べる度に泣いてたり、お手洗い行くだけで涙が出ることもあります。
いい年なのに赤子みたいです。でも、不思議と苦しくはありません。
恐らくは、長く押し込めていた感情が徐々に溢れてるからでしょうね。

また新たな人生を歩きだすことに前向きになりました。
とりあえず何かしようと、1日1個だけでも何か進めております。

一昨日は、FF14で賢者を触り……
昨日は、ラジオ体操。

そして、今日!
ペンタブに触れることが出来ました!!!

それに伴い、絵を描くことを再開できるようになりました。

頭割りギリギリなので、恐らく本にするとしたら8月ぐらいになるかもしれません。一応、頭割りの日には何かしら報告しようと思います。

これからFF14も人生もどうなるか分かりませんが、出来る限りのことをやろうとしておりますので温かく見守って頂ければと思います。


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