いまさら聞けない「フューチャーファンクに至る80年」/ フューチャーファンクはいかにして未来のファンクになったのか?
こんにちは、KINZTOのDr.ファンクシッテルーです。
今回は引き続き、フューチャーファンク(Future Funk)を取り上げようと思います。
前回はこちらの記事👆で、フューチャーファンク入門としてジャンルの特徴やサウンドの成り立ち、なぜ映像に日本のアニメが使われているのか?などを解説しました。
今回は、さらにそれを深堀りして、フューチャーファンクに至るまでの音楽の歴史80年間を探っていきます。
フューチャーファンクの歴史については、ヴェイパーウェイヴから誕生したんだよ、ということは、調べればすぐわかりますが、
それだと「フューチャーファンクはファンクではなく、ハウスだ」という解釈で終わってしまうんですね。
これは非常にもったいない。
フューチャーファンクは、本質的にはファンクミュージックです。
確かに表面的には4つ打ちを基本とするハウスなのですが、フューチャーファンクは音楽の歴史的にもしっかりとファンクの延長線上にあります。
さまざまな文化を経ながらも、しっかりとファンクが生み出した16ビート・ミュージックの系譜に入っているのです。
こちらの図をご覧ください。👇
今回は、この図で記した80年間の歴史を語っていきます。
👆の図で分かるように、ファンクとフューチャーファンクの間に、直接的な矢印の繋がりはありません。
しかし、ファンクが16ビートを生み出し、それがディスコになって、シティポップに入っていき、
最終的にフューチャーファンクがその16ビートをサンプリングしているのが分かります。
さらにファンク/ディスコをサンプリングしたダフトパンクのサウンドの影響を受けて、フューチャーファンクのサウンドが生まれたことを考えると、
フューチャーファンクは、本質的にしっかりとファンクを継承しているジャンルだと考えることができます。
今回は私の著書「ファンクの歴史」でも語った内容を交えながら、
ファンク誕生以前、ファンク誕生、シティポップやダフトパンクの誕生、そしてフューチャーファンクの誕生へと迫っていきます。
では、始めましょう!まずは1940年代からです。
1940~1970 ファンク誕生まで
ファンクはアメリカで誕生した音楽です。まずは、アメリカの音楽史を見ていきましょう。
1940年代は、ブルースやジャズといったブラックミュージックが盛んに演奏されていました。
これは1950年代になると、ロックンロールに進化します。
ロックンロールは、ブルースが持っていた12小節の「ブルース進行」と、
ジャズが持っていた「4ビート」のリズムに、2拍目と4拍目の強調を加えて誕生した、「シャッフル」のリズムを混ぜ合わせることで生まれました。
このシャッフルのリズムは、ロックンロールを通して「8ビート」というリズムに進化します。8ビートは現在でも非常に馴染みのあるリズムですね。
ロックンロールによって流行のリズムとなった8ビートは、そのまま1960年代に入ると、ソウルに受け継がれます。
ここで頭角を現すのが、1950年代からロックンロールのシンガーとしても活躍していた、ジェームス・ブラウンでした。
ジェームス・ブラウンは流行のソウルを歌いながら、1967年にファンクを生み出します。
まず、ロックンロールの8ビートを細分化して16ビートと言われるファンキーなリズムを作り、これをバンドに演奏させます。
さらに当時流行していた「モードジャズ」に倣い、コード進行が停滞した――ずっと同じコードを繰り返し続けるという要素を、自分の音楽に取り入れます。1950年代までの音楽では、コードは動き続けるのが当たり前で、これはダンスミュージックにおける革命でした。
これは今もヒップホップなどに受け継がれる重要な要素ですが、今回の本筋とは異なるので、多くは語りません。興味のある方は私の本をご覧ください。
今回の話で重要なのは、ここでファンクが16ビートを生み出した、ということなんです。
この16ビートは、ここから海を越え、最終的に電子の海をも超えて、フューチャーファンクに繋がっていきます。
1970~2000 シティポップとダフトパンクの誕生
1967年に生まれたファンクは、1970年代に入るとアメリカで大人気のジャンルとなります。
ソウルもファンクの16ビートを取り入れ、16ビートであることがダンスミュージックのヒットの一因として認識されるほどになっていきます。
スティービーワンダー、ジャクソン5などのファンキーなソウルに馴染みのある方も多いでしょう。これらはファンクの影響で誕生したものです。
こうした流れを受けて、1975年にディスコミュージックが世界的なブームに入ります。
新たな社交場であったディスコと、そこで流れるディスコミュージックを描いた映画「Saturday Night Fever(1977)」は、空前の大ヒット。ビルボードのアルバムチャートで24週連続1位という記録を樹立、ディスコミュージックの力を世界に見せつけました。
短く「ディスコ」とも呼ばれるこのジャンルは、ファンクの16ビートを明るくポップにして、サウンドも泥臭い印象から、キラキラした都会的な印象へ変化させたものでした。
さらにディスコは、世界中のポップミュージックに不可逆な影響を与えます。それは、ポップミュージックの16ビート化です。
世界中のチャートでディスコが人気になったため、多くの国のポップミュージックが、ディスコの要素を取り入れて16ビート化していきました。世界でも、16ビートであることがヒットソングの方程式に入ってきたのです。
そしてもちろん、日本もその中のひとつだったのでした。
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1970年代前半、日本ではそれまでの歌謡曲から、フォークソングやロックに影響を受けてニューミュージックが誕生します。
この段階ではまだ白人の音楽からの影響が強く、ブラックミュージックからの影響を前面に押し出したアーティストは稀でした。
しかしディスコが誕生し、日本にもディスコブームがやってきたことで、1970年代末からは、日本人からも山下達郎を始めとして、ディスコのグルーヴやサウンドを取り入れたアーティストが多数登場していきます。
これが、「シティポップの誕生」です。
シティポップはディスコの持つキラキラした都会的な印象と言うものをそのまま受け継ぎ、それだけでなく、16ビートのリズムを明確に取り入れていました。
日本におけるファンクの歴史は、シティポップでスタートしたと言っても過言ではありません。
シティポップはドラマの主題歌やCMに積極的に使われ、歌番組でも人気を誇りました。
ただ、シティポップは主に日本で流行しただけで、残念ながらこの段階では世界的な評価は得られていませんでした。
そしてここで評価されなかったことが、後に重要になってくるのです。
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一方……同時代のアメリカでは、ファンクやディスコのレコードからヒップホップが誕生します。
初期のヒップホップはファンクやディスコのレコードを使い、そのフレーズをそのまま演奏したり、レコードを2枚使って同じ箇所を繰り返し流しながらラップをすることで完成していました。
しかし、1980年代にサンプラーが登場すると、レコードの音をそのままコピーして繰り返すサンプリングという手法が生まれ、ヒップホップを通じて世界にそれが伝わっていきます。
そしてこの手法で、誰も使っていなかったファンクやディスコのレコードから、新しい音楽を生み出したフランスのハウス・グループがいました。
それがダフト・パンクです。
ハウスというジャンルも、そもそも最初はディスコから生まれた音楽です。ダフトパンクの曲は特にファンク/ディスコの影響が顕著で、ハウスの4つ打ちの中に強烈な16ビートが活かされた、非常にファンキーなグルーヴでした。
例えばこの「One More Time(2001)」は、ディスコのレコード「More Spell on You(1979)」をサンプリングして作られています。
(サンプリング箇所については、こちらの動画👇が参考になります)
この時、ダフトパンクが使ったファンクやディスコのレコードはフランスのクラブでは人気があった曲だったということでしたが、世界的な評価を得ていない作品ばかりでした。
ダフトパンクがディスコをサンプリングしてハウスを作り出したスタイルは大人気となり、またそのショワショワしたサウンド、「フィルター」と呼ばれるエフェクトを用いた音などは、「フィルターハウス」という名前で定着していくことになります。
さて、この段階では、シティポップとダフトパンクはまったく接点がありません。これが交わるのが、2010年代になります。次の歴史を見てみましょう。
2000~2020 フューチャーファンク誕生
2000年代になるとYouTubeなどの動画共有サイトの発展により、世界中の誰もが大量の素材にアクセスできる時代がやってきました。
過去の音楽や映像が、著作者でない人物によってアップロードされ続けるようになったのです。
こうした流れは、世界中で著作権を無視したコラージュ文化を生み出します。日本でもニコニコ動画などで、その文化が独自に盛り上がっていきました。
するとこういった状況でしか生まれ得ない、新たなアートを作り出そうとした人達が登場するのです。
2009年~2010年、チャック・パーソン(現在はワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)が「Chuck Person's Eccojams Vol. 1」を発表。
これはTOTOの曲などをサンプリング、テンポを変えたりして使用しているものの、例えばCDが飛んでしまったかのような無作為な繰り返しを行ったり、あえてそれらの音源を本来の音楽的な意味から切り離していくようなコラージュ・ミュージックでした。
「Chuck Person's Eccojams Vol. 1」は完全にアート作品で、商業音楽とは一線を画した内容になっています。この手法は大量消費社会に対する皮肉も含まれており、Eccojamsというジャンル名で認識されるようになります。
この段階では、Eccojamsはファンクやハウスと一切関係なく、ダンスミュージックですらありません。リズムキープはされていますが、純粋な意味での「音楽的なサンプリング」ではないため、これで踊るのは至難の業だと思います。
翌2011年、同様の手法でマッキントッシュ・プラス(現在はヴェクトロイド)が「Floral Shoppe」をリリース。
これは手法としては同じコラージュ・ミュージックですが、かなり聞きやすい作品になっていました。
ダイアナ・ロスなどのR&Bや、スムース・ジャズなどがサンプリングされ、内容的にも本来のR&Bやスムース・ジャズのイメージを残したままコラージュされています。
ですがテンポは遅く、まったりとしたスムース・ジャズの雰囲気に、時折Eccojams的な無作為なサンプリングが差し込まれているため、まだ踊れる音楽ではありませんでした。
ヴェクトロイドの「Floral Shoppe」はシーンに強いインパクトを与え、多くのフォロワーを生み出します。そうして、このジャンルに新たに「ヴェイパーウェイヴ」という名前が付くことになるのです。
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ヴェイパーウェイヴは主に80年代のレトロな音楽、映像をサンプリングして作られ、根底には当時の文化へのノスタルジーがありました。
そうした流れの中で、2013年、ヴェイパーウェイヴのアーティストとして活動していたセイント・ペプシが、画期的なサンプリングを行います。
「Skylar Spence」という曲名で、山下達郎の1982年の「LOVE TALKIN'(Honey It's You)」をサンプリングしたヴェイパーウェイヴを作り出したのです。
この曲はヴェイパーウェイブにしてはテンポが速く、しかもしっかりとしたダンスミュージック、踊れるファンキーな音楽になっていました。
そう、ここでサンプリングされたのは、
ついにサンプリングされたのは――
ディスコを経て取り込まれた、シティポップの16ビートだったのです。
この流れに乗って2013~2015年に、ファンキーなシティポップ、またはその源流となったディスコをサンプリングしたヴェイパーウェイヴが多数登場します。
80年代のノスタルジーに裏打ちされた、世界でも類を見ない、日本のシティポップを積極的にサンプリングし続ける新しい音楽。
この音楽が、フューチャーファンクと呼ばれることになるのです。
フューチャーファンクはヴェイパーウェイヴと違って、テンポも速く、しっかりと踊れるポップなダンスミュージックになっていました。
具体的に言うと、ダフトパンクによく似た、ファンキーなハウスの4つ打ちが基本のリズムになっていたのです。
それだけでなく、サウンドもダフトパンクの「フィルターハウス」が基本になっていました。
これはフューチャーファンクのアーティストの多くが、ダフトパンクのフォロワーだったことが理由となっています。
ここで、これまでの歴史の集大成が生まれたことになります。
つまり、アメリカで生まれたファンクの16ビートが、
ディスコに入って世界中に拡散し、
日本のシティポップと、
フランスのダフトパンクを生み出して、
フューチャーファンクで一つになったのです。
フューチャーファンクはヴェイパーウェイヴの派生形としてじわじわと人気になり、2016年、Night Tempoの「Plastic Love (Night Tempo 100% Pure Remastered)」が大ヒットしたことで、爆発的に知名度が上がります。
この動画を経て、サンプリング元となった竹内まりやのシティポップ、「Plastic Love(1984)」が世界的に注目され、現在のシティポップブームへと繋がっていくのです。
それに伴って、フューチャーファンクのアーティストも急増。アニメのサンプリングなど、新しい手法も取り入れながら進化を続けていきます。
こういったアニメの声のサンプリングなどがフューチャーファンクに入ってきたことで、新しいフューチャーファンクの解釈が生まれます。
シティポップの本来の影響元であるファンク/ディスコのファンキーな16ビートを意識せず、アニメソングやゲームミュージックといったジャンルに寄せるフューチャーファンク、という解釈です。
ですが、フューチャーファンクの本流としては、やはりファンキーなシティポップ、そしてその影響元となったファンク/ディスコを意識したサウンドが続いています。
「辿り着けない未来」のファンク
ダフトパンクは「世界的に評価されていない、ファンキーなディスコ/ファンクのレコード」をサンプリングしましたが、
フューチャーファンクは「世界的に評価されていない、ファンキーな日本のシティポップ」をサンプリングして誕生しました。
これは非常によく似た現象で、例えばダフトパンクがシティポップの熱心なフォロワーであったなら、彼らが杏里の「Remember Summer Days」をサンプリングする可能性だってあったのかもしれません。
並行世界、別の世界線では、あるいはそんな未来もあったのかもしれませんが――この世界では、ダフトパンクはシティポップをサンプリングせずに解散しています。
つまりフューチャーファンクは、Night Tempoが語っていたように、「もしダフトパンクが、シティポップでサンプリングしていたら」という「辿り着けない未来」に位置している音楽なのです。
Night Tempoはフューチャーファンクの命名者の一人。彼はその命名を「適当」だと語っていますが、やはりこの命名は、とても示唆に富んだものだったと考えられます。
山下達郎が「ファンク」だというのも、シティポップの影響元であるファンク/ディスコの姿をしっかりと捉えていないと生まれてこないアイデアですし、
さらにフューチャーファンクの「フューチャー」が「AKIRAの未来的なイメージ」であることも、それがSF的な「辿り着けない未来」であることを示しています。
「辿り着けない未来に存在するファンク」、フューチャーファンク。
そしてその誕生までの歴史、いかがだったでしょうか?
フューチャーファンクの重要アーティスト、おすすめプレイリストなどは前回の記事👇で紹介したので、よかったらそちらも合わせてご覧下さい。
それではまた次回、音楽の話でお会いしましょう。
◆著者◆
Dr.ファンクシッテルー
宇宙からやってきたファンク研究家、音楽ライター。「ファンカロジー(Funkalogy)」を集めて宇宙船を直すため、ファンクバンド「KINZTO」で活動。
◇既刊情報◇
バンド公認のVulfpeck解説書籍
「サステナブル・ファンク・バンド」
(完全無料)
ファンク誕生以前から現在までの
約80年を解説した歴史書
「ファンクの歴史(上・中・下)」