和製英語というけれど
「和製英語」という表現を皆さんは使うことがあるだろうか。
ハンドルとか、フロントガラス、バックミラーなど車の部分名称が
よくその例に出され、英語でこれらを話題にする際に「そのままだと
通じませんからご注意ください」のように扱われている。
いわばカタカナ語と同一のような気もするが、専門家じゃないので置いといて、いずれにせよ私がここに申し上げたいのは「和製英語」と呼ばれる言葉の数々は決して「和製」の「英語」ではない、ということ。
これらは全て「日本語」だ。
ホットケーキ、プリント(配布物としての)、プリン(プリントと書いたら思いついた)、ティッシュ、コンセント、あとなんだ?
どれも日本語の会話の中で自然に使う単語ばかりだ。
それをまるで重箱の隅をつつくように「それは英語じゃない」「それは英語圏じゃ通じない」「ホットケーキではなくパンケーキと言いなさい」などと非建設的な評価を振りまかないでいただきたいと思っている。
そもそも「英語」ではなく「日本語」ですからどうぞ放っておいてください、と。
インドにはインドの英語、フィリピンにはフィリピンの英語があるのに、まだイギリス英語やアメリカ英語に圧倒的な力でもあるように考えている人が、一定数いると思っている。
日本人/日本語母語話者だって英語が上手だ。発音やアクセントにネガティブな印象があるとすればきっと、日本で英語を教える英語母語話者の圧倒的多数がイギリスやアメリカの英語を話し、それらと比較しているからだ。
「和製英語」と聞いただけで「英語」という言語に圧倒的な力が与えられている気がするのだ。さらには単語一つ一つ、ひいては英語話者による日本語に対する軽蔑心が感じられる。それゆえに、「和製英語」という表現がどうも引っかかるのだ。
一体だれがいつ作り出した言葉なのだろうか。調べる気はないが、今現在を生きるわたしの感想としては、余計なことをしてくれたものだと言いたい。
さて、わたしは今ここに提言したい。「和製英語」と呼ばれる数々の言葉を「外国語風日本語」とするのはどうか。ここには英語ではない言語に由来する日本語も含むことにしよう。
勝手に今日からわたしだけは、この呼び名を使用していく。