パンを焼く暇もない地域医療の惨状 精神科専攻医の徒然草7
〇「パン焼いてました」はダメなの?
SNSは日がな一日様々な話題での批判が飛び交っている。全く暇な人たちだ。そんな風にSNSに他者批判を垂れ流すことに忙しい人たちがいるかと思えば、緊急で呼ばれる当番の医師のバックアップ当番の時にパンを焼くことさえできない医師もいるようだ。
夜間に対応をお願いされたのにパンごときで遅れやがってと怒られてはたまったものではないのだが、このエピソードとその後の炎上に私は地域医療の惨状がよく表れているものと見た。
〇地域医療はとっくに崩壊している。パンを焼く暇すらないほどに。
私の地域医療に対する評価は一貫して変わらない。「地域医療はとっくに崩壊している」というものだ。しかし、実際には地域には見捨てることのできない哀れな患者・住民たちはたくさん取り残されている。そのような住民たちに対する医療の提供者はいったいどのような人たちなのか。崩壊しきった最前線で身を削って戦う哀れな動員兵である私が、SNSの皆さまにその答えの一つを伝えてみよう。
〇地域医療の担い手は4種類の人間がいる 前半
地域医療が崩壊する理由はごく単純で、そもそもその地域が生活するのに極めて不便だからということが大きい。医師免許という日本で最強クラスの国家資格を持っていて働く場所・住む場所に何の不自由もしない人間が、なぜわざわざ医療の維持に四苦八苦するような不便な土地に住もうとするのだろう。生活に便利な土地で暮らすことを選ぶのに理由はいらないが、不便な土地で暮らすには理由がいる。なので、地域医療の担い手が地域医療に従事し続けるためには強い動機・理由が必要になってくる。
その動機の種類というのは大体似通ってくるようだ。ベテランと若手医師ではまた理由も異なるがそれでも全部まとめて、およそ4種類くらいに分けられるように思われる。
まず「崇高な使命感と自己犠牲の精神で地域医療貢献に邁進する中堅・ベテラン医師」が存在する。素晴らしいことだ。医師の使命とは何か、それを住民や若手医師に示し続けてくれる。そうするとその医師に強く憧れてやってくる「高い使命感に共感する次世代の担い手医師」が現れる。そのようなベテランと若手が集まることで更に好循環が生まれ、どんどん地域医療の担い手は増えていくはずだ、というのが彼らだったり、自治体の理屈である。
私から言わせればこれはとんでもないお花畑理論である。私らのような哀れな動員兵の苦痛を理解する人間は地域医療には存在しないようで、だからこそ地域医療の崩壊は止まらないだろう。
〇地域医療の担い手は4種類の人間がいる 後半
地域医療の担い手は先述の理想的な2種類の人間だけではない。むしろそれ以外の2種類の人間のほうが多数派で、そのような人たちによって地域医療が支えられている。
無視されているうちの一つが、「都市部でやっていけない食い詰め浪人医師」が多数存在することである。地域医療は医師確保に必死なので、他院や他の地域でどのような不祥事やミスをしていようとも、人間性にどれだけの問題があろうとも、基本的には採用される。採用するのは現場の人間ではなく、人事部だったり、臨床から距離の遠い理想主義的な責任者だったりするからだ。トラブルメイカーを寄こされた現場は大混乱してしまうので、すぐにそのような医師には仕事は全く与えられなくなる。本人は大喜びで医局で1日中YouTubeでも見ながら高給をかっさらっていくのだ。当直やオンコールなども自然と免除される。だって危ないんだもん。またもSNSでお騒がせな脳外科医のマンガも、私は全く他人事ではなく感じていた。むしろ地域医療あるあるとして読んでいた。
地域医療の4種類の医師のうちの最後は、圧倒的大多数である私らである。つまり「専門医取得などを人質に医局から動員されている専攻医や若手専門医」である。地域医療に対する熱い理想なんて持っていないし、仕事だから命令だから従っているだけで、かといって自由診療に行く気にもなれないし、医局を辞める決心もつかない、ある意味で流された末に地域に流れ着いてしまった私らのことだ。「嫌なら辞めればいいじゃん」と美容外科医やフリーランス医師らは言うかもしれないが、地域の住民の哀れさもよくわかるからこそ、私らは辞める決心もつかないのだ。だからこそ、任期を指折り数えながら、もやもやとした葛藤や、尋常ならざる疲労を抱えたまま黙って地域医療に搾取され続けている。
若手医師は様々なしがらみの中でがんじがらめになって、苦渋をなめ続けている。というのも地域医療のシステムは、巧妙に医師の労働力を搾取し尽くしてようやく成り立たせている構造になっているためだ。地域には、若い医師の使命感や責任感の強さや、お人好しさにつけこんで労働力を絞り尽くすための心理的な技術が代々受け継がれて悪用され続けているのである。
〇わずかな時間にパンを焼くことで人間性を保っているんだ
最強クラスの国家資格を持ちながら、疲弊しきっている我々はごくわずかな時間を捻出して趣味に没頭したり休息をとったりして、拡散しそうな人間性を保ち続けている。パンを焼くことで人間性を保っているんだ我々は。
そうやってギリギリのところで何とか持ちこたえているのに、「患者が自分の家族だったらどうするんだ」なんて的外れな批判を寄こされてしまってはいよいよ愛想も尽きるといったもんだ。地域医療は確かに大きな社会問題であるが、地域医療の問題を自分の問題とするかどうかは、自分ひとりが決められることである。「私は医者だけど、都市部でしか働かないから知ーらね」ということもいつでもできるんだ我々は。
我々若手医師の悲哀は同じ若手同士でしか理解し合えないようだ。だからこそ、辛いときにはそっと精神科医に相談に来てほしい。私も若手ではあるが、地域の惨状には辟易としているし、診断書の一つくらいは書きますよ。
〇自己犠牲の押しつけは「自己」じゃないだろ
地域医療を引っ張る熱心なリーダーは、対外的には理想的な医師のように映るが、内部の下から見ればただのパワハラ気質にしか見えない場合も多い。それを若手の怠慢だと批判したり、医師としての覚悟・自覚が足りないと批判したいなら勝手にすればいいが、地域医療の崩壊を加速させているのは「自覚が足りない若手医師」なのか「時代錯誤なパワハラ診療部長」なのか、時代が答えを出すだろう。
「ちょっとパンを焼いていて」と言われたときに「それは素敵ですね」と言い合える職場環境を目指さなければ、人が集まることなんて決してない。というか「そんな大切な時間を過ごしていたのに急に呼び出してしまって本当にすいません」という気持ちが自然に生まれるような人間は、自分の家族のことを考えて都市部に転職するもんな。選りすぐりの自己犠牲ジャンキーじゃないとやっていけないんだ地域医療ってもんは。
地域医療の惨状ここに極まれり。
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