医局という軍隊生活を生き抜くためのいくつかのコツ 


〇医局は古びた存在なのか


 SNSでは医局というのはあまり良く言われないことが多い。確かに旧態然とした搾取構造が今も続いているようにも思われる。医局に入ると雑用やら転勤やら良いように使われてしまうばかりか、メンタルヘルス不調に陥って休職や最悪の場合自殺死亡といったことまで考えられる。このように恐ろしい組織のようにも思えるが、いくつかのコツさえ掴めば上級医の覚えもめでたくなり、余計な雑用もあまり振られず症例も豊富になりメリットも大きい。そこで今回はそのコツはどこにあるのか考察してみたい。


〇医局ってのは軍隊なんすよ、シャバとはお別れよ


 まず、医局というのはどう考えたって既に古臭い存在になってしまっている。これはもう間違いなくそうなっている。医局に入ろうが辞めようがどちらにせよ、医局は古臭い価値観が今も残っている組織であることをハッキリ認識した方が後々が楽である。というのも、どんな組織であったとしてもその文化や価値観はトップがどのような人物であるかに左右されるためだ。医学部の臨床教授は大体が50代や60代の先生が務めているため、どう逆立ちしたって研修医や専攻医から見れば古臭いものになってしまうに決まっている。医局に入るならばまずその古い価値観と自分の価値観とのギャップにどう折り合いを付けるかということと向き合うべきである。
 ただ、早速可愛がられようと思うならそんなものの答えは1択で自分の矮小な価値観など捨ててしまうに尽きる。無論、本心から捨てろというわけではないが、少なくとも表面上はそうすべきである。
 こういうことを言うと賢い研修医の先生は「それだと医局に良いように使われてしまうだけでは」と心配になる人も多いだろうが、それは社会人経験が乏しいと言わざるを得ない。仕事も何もわかってない状態から指導を受けようと入った新人ならば、軍に入隊した新兵かのように上官には絶対服従するつもりのほうが何かとよろしい。
 近頃は新入局員の側も賢くなり、こういう配慮をしてほしいだの、この分野に進ませてほしいだの、勤務地や当直だの条件交渉を医局長と行うことが普通になってきている中、「手厚いご指導を頂けるなら何でもさせて頂きます」という新人が入ってくればそれだけで一目置かれることになるのだ。


〇そもそも医局での高評価を稼ぐ理由

 なんだかんだで医局も医局員に報いようと頑張ってはいるものの、医局から与えられるメリット何てものはせいぜい専門医や指定医の取得、勤務地の選定、当直や勤務日数、研究や留学、望む時期での退局ぐらいしか無いように思う。であれば、理想的な医局の利用方法は精神科であれば専門医と指定医を取って頃合いを見て医局をサッと辞めることだろう。(もちろん、アカデミアの道に進んだり、教育に邁進したい人もいるだろうがそういう高邁な考えには小手先の立ち回りのコツなんか意味がないので今回の文章の対象ではありませんよ!)
 「この先生は最初から一生懸命でよく頑張っていたし、快く送り出してあげたい」と思わせるか、関係がこじれても「先生なら是非来てほしい」と他の就職先に言ってもらうか、どこに行っても食っていけるだけの腕と自信を身につけるかのどれかが私のような一般的医局員のゴールなのだ。そのために評価を稼ぐのであるし、副次的に日々の仕事のやりやすさも生まれるのだ。

◯1年目は患者よりも上司の顔を見ろ


 後期研修医1年目というのはなかなかキツい立場である。仕事にもなかなか慣れない立場で日々の業務をこなすのに必死だからだ。そこに直属の上司との折り合いが合わないと来たらいよいよ潰れてしまいかねない。
 なので、1年目はとにかく直属の上司がどのような人物なのかを掴んで味方につけることに気をもんだ方が良い。患者のことを考える以上にまずは上司の懐に入ろうとするべきだ。もちろん安易なゴマすりをするというわけではなく、上司の新人を評価するポイントを的確に掴んでそこをくすぐろうという話である。だいたいどの指導医であったとしても後期研修医1年目に完璧な診療なんか求めてはいない。新人の一番の目標は仕事ができるようになることではなく、上司に気に入られることなのだ。そこを履き違えると適応障害、休職退職、パワハラ騒ぎのどれかになってしまうから留意したい。
 指導医ごとに「良い医者っていうのはこういうものだ」という像があるはずなので、それに沿ったパフォーマンスをするのが大事だ。それは指導医によっては朝早くに回診をすることだったり、カルテの書き方だったり、最新の論文を読んでいることだったり、ややこしい古典的な精神分析学についてきちんと本を読み込んでいることだったり様々ではあるが、それを面倒臭がらずに愚直に取り組もう。間違っても「いや精神分析学なんか今読んでも臨床に関係ありますか?」なんて言ってはいけない。まず第一に「先生の真似をして自分もこうしてみました!」と言って、しばらくしたら「確かにこれをするようになってから臨床のことが少しわかるようになった気がします!やっぱり先生のなさっていることは大切なことなんですね!」と言うのが新人には大事なのだ。内心下らないと思っていても良いが、これができるのとできないのとでは仕事のやりやすさが段違いになるし、パワハラの被害にも遭いにくい。パワハラはしてはいけないものだという建前にはなっているが、パワハラ被害に遭いやすいのはこういう工作を軽視している結果であるかもしれない。上司の評価ポイントを知っておかないと毎日夜遅くまで残って仕事しているのに「あいつは始業時刻ギリギリにならないと出勤してこないやる気のない奴だ」なんて思われる悲劇も考えられる。


◯仕事を頑張ることよりも、仕事を頑張っていると思われることに頑張る


 人の評価というのは極めて恣意的で乱暴なもので一度「あいつはダメなヤツ」と思われてしまうとそこからの挽回というのはなかなか難しい。一方で、「あいつは頑張ってるヤツ」という評価を一度得ればその後は多少のことは目をつぶってもらえるようになるので、医局員という兵隊にとってはとにかく初動が大事なのだ。
 そこで我々がやるべきことはまたも周りの評価を得るような頑張ってるアピールである。医者の仕事というのは無限に存在し続け全てをきちんと取り組もうとすることなど無理だ。だからこそまず上司が喜ぶようなポイントを押さえて教えがいのある奴だと思われることを目指すべきである。


〇技術は盗むものであり


 医学部という環境は非常に教育的な環境であり、大量の課題や試験に忙殺されることに我々はすっかり慣れてしまっている。そのせいもあって、研修医になったころには我々は何もせずとも上から指導を受けることが当然であるかのように錯覚してしまう。もちろん医局というのは教育機関でもあるので、受け身の姿勢であってもきちんと教育が為されるわけだが(為されないなら入っちゃだめ)、仕事を上手くこなすためには画一的な指導内容以外の部分を教えてもらったり盗むことが重要になったりする。それは、軍隊生活において背嚢の背負い方をどうするのが良いだとか、半長靴をピカピカに磨く為には官品以外に何を使えばいいかだとか、ある人物の不機嫌なサインはこうだからその時は迂闊に近付くなだとかそういう裏技的な仕事のコツのことである。上司に可愛がられるとそういうことも教えてもらったり、身近で感じられたりする。
 そうやっていると、上司の評価を稼ぐことだけに注力していたはずが、いつの間にか真の実力がついていたりするものである。何故なら上司の評価ポイントというのが全く臨床に関係が無いという方が少ないからである。先人が重要視するところはやはり重要なのである。
 ところで、ここ数年で俄に話題になっている進路の一つである初期研修終了後すぐに美容外科に就職する、いわゆる直美というのは実際良い進路なのだろうか。私の周囲にはそのような人物がいないのであくまで憶測であるが、何の後ろ盾も無く美容外科の世界に飛び込んだ後に当たり前のように指導を受けられるはずと信じるのは余りにも楽観的過ぎるように思う。もちろん雇用側はそんなことは一切言わないし、実際にある程度の指導は為されることもあるだろうが、国内市場というパイが決まっている以上、自由診療領域において指導医が後輩を育てるということは自身の商売敵を育成することと等しい。保険診療よりも不安定な業界でようやくある程度の立場に自分がなれたとして、素直に後輩達に教育を施すだろうか。指導することが職場の評価項目となっていれば一応は教えるだろうが、それで食っていくために最も重要な肝というのは絶対に教えることなどしないのではないだろうか。一通りのことを教わったとしても、仕事というのはどんな仕事であっても、部下全員にはとても教えられないが非常に重要なコツというものが存在するはず。美容外科に参入することを検討している研修医や医学生に、それをきちんと盗むだけの技量が果たしてあるのだろうか。短期的な見通しのみで直美に飛び込む様子は、まさに直火に飛び入る夏の虫ではないだろうか。
 閑話休題、ともかく医局というのは今でも教育的な文化が残っているところではあるが、やはり自ら可愛がられに行って上級医の技術を盗むことが肝心であると主張したい。

〇大学院には入るな、止めても無駄な奴だけ入れ


 医局に入れば避けては通れないのは大学院進学である。生き残ることだけ考えれば入らないに越したことはない。日々の臨床業務の他に追加で研究もするなんて普通に考えて負担が大き過ぎる。医者なんて普通の仕事だけでも忙しいのだから、大学院に入ってしまえば家庭を犠牲にするほか無くなってしまう。博士課程なんか無くても困らない。そもそも精神科医なら指定医を持っているだけで就職は困らないし、その上で「きちんと事務員や看護師と会話ができる」というだけでもう引く手あまたである。大学院というのは何となく勧められて入るところではないし、今まで稼いだ好評価も大学院でボロが出てしまう可能性もある。
 ただし、断り方というのは考えた方が良い。「興味が無いです」だとか「考えてません」と言っても今時そう咎められることではないが、やはりここでも同期とは違うところを見せておきたい。下手に期待させるのも面倒なので、脈ナシであることは示したいところではあるが、断り方にも言い方があろう。そこでお勧めなのが「まずは基本的な臨床の知識を身につけることに専念したいので、数年の間はじっくり考えさせてほしい」という文句である。これなら真摯さと思慮深さをアピールすることができるし、それ以上しつこく勧誘されることも無くなるのではないか。そして、数年後にそろそろ大学院は、とまた聞かれることになるだろうがその時には既にある程度の医師としての技術や知識が身についているだろうし、医局との関係性もそれなりになっているので適当なところで家庭の事情等を言って辞退すれば良い。

〇残念な上司もいるじゃんね、どうすんの?


 と、ここまでとにかく上司の評価を取りに行けと書き続けたものの、無視できないのは残念な上司に当たる場合である。基本的には上司からは評価された方が何かと都合が良いが、好かれない方が良い残念な上司も存在するので、更に考察を加えていく。
 まず診療科長、その職場での自分のボスとなる人物に対しては人格者だろうが曲者だろうが変わらず、とにかく懐に入るしかない。ボスに睨まれてしまっては新人は仕事が出来なくなってしまう。次に、大学病院などでいるなら病棟医長などの実務上の裁量をはかっている人物の評価も重要である。ただし、ある程度の立場に当たっている彼らから丸々全く教わるべきことが無いということはないはずではある。
 では残念な上司に対してはどうすべきか。まずは誰がその残念な上司なのか見分けるところからしないといけない。私見としては精神科医の能力を測るにはカルテを見るのが一番だと思っているがカルテからその医師の能力がわかるまでにもそれなりに精神科臨床をわかってないといけないので、もっと簡便なサインをいくつか並べる。
 一、暇そう。これはもう決まってる。優秀な人には仕事が集まるし、そうでない人は大体暇そうにしている。もちろん、中には優秀でタスク管理が完璧だからこそいつも余裕そうに見える場合もあるがそれは他の仕事の様子を見てればすぐにわかる。
 一、新人への面倒見が良い。これも結構あるあるだと思っている。仕事ができない人物はその自尊心を右も左もわからない新人に構うことで満たそうとする場合があるので、上手く見極めて切り抜けたい。一見難しいのは、優秀な指導医も部下の面倒見が良いことであるが、見極めるのに一番重要なのは話している内容がきちんと新人が今抱えている業務と関連性があるかどうかという点である。きちんと今現在の業務の進捗や困っている内容を把握し、その解決のために適切な方法や学習内容を提示してくれるかどうかだ。とにかく言われた通りやってみて納得できる部分があれば、その上司は信頼できる人物なので安心して媚びて良い。そうではない場合、新人に物を教える事が目的になっているため、内容が今抱えている業務と関係ない場合が多い。多いというか、新人の業務内容を把握できていないか、把握してもそれに適切な指導ができないということそのものなので、つまり仕事はあまり出来ない上司だということになる。これに捕まると非常に厄介で謎の勉強会、輪読会、抄読会が定期的に開かれることになってしまう。それが異性であればセクハラ紛いである。うまくかわして時々教科書や本の紹介を受けた際に流し読みして適当な感想でも言っておくくらいの距離感に留めたい。
 一、格好良い言葉を言う。これはちょっと毛色が異なる。仕事ができるできないという話ではないからだ。ただ、この文章は医局という軍隊生活を上手く生き抜くコツがテーマなのでこれにもきちんと触れないといけない。そもそも医療というのは、精神科であれば特に、ひたすら目の前の現実的な課題に対して泥臭く対処を重ねていくような業務ばかりである。そのため実臨床において重要なのはひたすらに実務能力であり、課題処理能力であるはずだ。そうであれば、あえて甘美な響きを持つような理想的な言葉を口にする必要性というのにも深読みしておくべきであるかもしれない。それはきっと若い医療職に不都合な事実に目を向けさせないための使命感をくすぐるような言葉かもしれないし、単純にその人物の能力の未熟さを誤魔化すための言葉かもしれない。実際に働いてみれば感じるところだが臨床現場と理想主義とは相性が悪過ぎるのである。そのような現場にあって、あえて声高に掲げることの意図に我々は注意しないといけない。地域のため、患者のために自らを犠牲にしたくなるようなプロパガンダに騙され、喜んで特攻していくことに陥ってはいけない。
 また、医局で生き抜くに当たって、そのような格好良い言葉に感化されるというのは、その先生の色が自分に付き過ぎてしまうという懸念もある。医局で求められるのは文句を言わぬ頑丈な兵隊であって、兵士が何らかの思想に目覚めることは求められていないのである。〇〇派などと思われてもつまらない。

〇これで君も立派な戦士だ(生存バイアス)


 さて、考え込めばまだあるかもしれないがすぐ思いつく限りのコツは以上のものだ。これらのことに気をつけながら過ごしていれば気付けば一人前の臨床医になっているはず。我々は医師である前に一人の社会人である。顧客である患者が直接我々を評価してくれるわけではないことをよくよく理解しておくほうが都合が良い。
 患者を軽視しているようにも思えるが、一番患者のためになるのは感情論ではなく、きちんとした臨床を提供することにほかならない。それができるようになるには、目の前の仕事のことばかりにいっぱいいっぱいになりながら働くよりも、上司に可愛がられるように尽力して手厚いサポートを受けながらのほうが効率が良い。これらのことに気をつけてさえいれば、古臭いと批判されがちな医局というのも案外便利なところであるように思う。

いいなと思ったら応援しよう!