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ものは考えよう とはよく言ったものだ その3

20世紀を代表する臨床心理学者にアルバート・エリスという人がいます。
アメリカの人で、論理療法を提唱しました。

簡単にいうと、人が感じる心理的な問題は「何が起きたか」ではなく「それをどのように解釈したか」によって起こりうるものである、という考え方です。

小学校のマラソン大会を考えてみましょう。

マラソン大会が行われる。
参加しなければいけないけれど、あんな苦しいものはない。
どちらかというと、無益なものである。
そんなものに参加したくない。
参加しなくてすむためにはどうしたらいいだろう。悩んでしまう。

つまり、
⦅A⦆マラソン大会が行われる。
⦅B⦆参加しなければいけないけれど、あれは苦しい。
⦅C⦆参加しなくてすむ方法はないだろうか。

ありません。
残念ながら。

足が痛くなる、お腹が痛くなる。熱が出る。
雨が降る、学校が休みになる。
マラソン禁止命令がでる。
どうしても当日休まなければならない用事ができる。

いろいろ考えます。

小学生にとって、マラソン大会を中止するのはどう考えても難しそうです。
以前、コロナ感染が流行った頃、学校が休業になったことがありましたが、一人の小学生のために、学校が休業になることはまずありません。

自分だけが休もうとしますが、こういう時に限って、熱も出ず、元気なのです。
頼みの綱の足は、練習もできるだけサボろうとしているために、少しも痛くなりません。

天気も雨の予報ではなさそう。
第一、マラソン大会予定日が大雨だとしても、予備日というのがあって、必ずどこかで実施されます。
何年か小学生をしていると、そのこともわかります。

また高学年になってきて嫌な行事に参加しないと、「あいつは〇〇が嫌だから休んだのだ。」「ズル休みだ」「卑怯なやつだ」と言われかねません。

たかだか1000mか2000mを走るかどうかだけで、ひどい言われようです。

マラソン大会ブームが終了するまで、学校に登校しないという方法もないわけではないのですが、こういったことで悩む子どもたちは、根が真面目で、なんとか頑張りたいと思っていることが多いのです。

マラソン大会が嫌だからといって、学校は休んではいけない、と思っています。
何なら、きちんと学校に行き、しなければならないことを果たしたいと思っています。

だから悩むんです。

アルバート・エリスさんは、「マラソンは苦しい」「あんなものに参加する意味がわからない」といった認知の部分を変化させるとよろいのではないか、と言っています。

真っ当に走るから苦しい。だから、適当に走ろう。
上位を目指さず、真ん中あたりでゴールするようにしよう。
長距離は自分向きではないんだから、そう速く走らなくてもいい。
自分の以前の記録より1秒でも早くゴールできたら素晴らしい。
最後まで歩かず走ることを目標にしよう。
体力がないから、体力作りの一つだと思って走ろう。
走ることは苦手なのに、参加する私って素晴らしい。

おや、なんだか、走れそうな気がしてきました。

大会当日、雨が降らなくてもいいし、学校が休みにならなくてもいい、という気持ちです。


私は「マラソン大会が嫌だな」という子どもたちと話す時は、アルバート・エリスさんのABC理論のBの部分に着目して話をすることにしています。

みんながみんな、心から納得してくれるわけではありませんけど、この考え方は、これから子どもたちが出会ういろいろな壁の前でも、きっと役に立ってくれるのではないかと思います。

それに、マラソン大会、一位になる子どもたちも、彼らなりに「負けたらどうしよう」と考えて心配していることを、私は知っています。
人の2倍以上かかって走り終える子どもも疲れるけど、トップで走る子どもたちもは、走っている間もいろいろ考えていますので、人の2倍くらい疲れ果てているのを知っています。

どこにいても苦労があり、どこにいてもそれなりの喜びや満足感があるのではないかと思うのです。

ものは考えようだ、と言いますが、本当にそうだと思うこの頃です。



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