道路の歩き方
夜明け前の街は、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。薄暗い空の下、長い影が街を覆う。その中で、彼は目の前の空間が不穏に揺らいでいるのを感じた。彼は路地裏に立ち、薄明かりの中に浮かぶ少女の姿を見つめていた。
少女は白いドレスを着て、周囲の影を不気味に映し出している。彼女の瞳は深い海のように澄んでいて、その奥には何かが隠れているように感じられた。「神様は子供にしかみえないの。」と、少女は微笑みながら言った。
彼はその言葉に戸惑った。神様?子供?何が起こっているのか理解できなかった。しかし、彼の心の奥には、かすかな期待感が芽生え始めていた。静かな街の中で、彼の耳には子供たちの笑い声がこだまする。「はは…はは…」「なな…」「もや…もや…」まるで、遠くからその声が近づいてくるようだった。
少女は続けた。「私たちはもう戻れないの。世界の秘密を知ってしまったから。だから、あなたも一緒に来て。」その言葉には、どこか重たい響きがあった。彼は思わず足を止め、少女の目を見つめ返した。「あなたも、神様を知っていたでしょ?」少女はつぶやく。
彼はその言葉を反芻しながら、少女の言葉に耳を傾ける。「終わりはすぐそこにある。逃げれば、もっと酷い終わりが来る。早く逃げないと、すべてが…」
次の瞬間、路地の奥から音が聞こえた。それは不規則で、こちらに向かって進んでくる音だった。子供たちの笑い声が再び響く。「はは…はは…」「なな…」「もや…もや…」そして、彼らの姿が次々と現れ始めた。紙袋をかぶった子供たちが、小さなおもちゃのキーボードや太鼓、そして「アンプ」と書かれたダンボールに繋がれたギターを持ち、何かを演奏している。
「見てみろよ、この世界。全部おもちゃだ。でも、音は本物さ。」一人の子供が囁くと、彼らは笑いながらギターでお互いを殴り始めた。殴られた瞬間、音が出る。その音は不気味に美しく、街全体に響き渡った。
主人公はその光景にただ立ち尽くすしかなかった。彼の足元には、指人形が転がっていた。彼の指にも指人形が付いている。もはや、逃げることもできない。
「これが貴方の運命なの?」少女が再び口を開く。「私たちは神を見つけたの。貴方はもう、外に戻ることはできないよ。」
その瞬間、彼の視界がぐにゃりと歪んだ。まるで夢の中のように現実が崩れ始める。壁が溶け、路地が消え、彼の足元には巨大なブランコが出現した。ブランコを漕ぐ少女の叫び声が頭の中を駆け巡る。
「もう逃げられない…」
視界がぼやけ、耳鳴りがする。次の瞬間、彼は何かに引きずり込まれるように、ブランコの下に落ちた。そこは暗闇だった。無数の手が彼を捕まえ、どこかへ運んでいく。
最後に聞こえたのは、神様のような、子供のような、不気味な声だった。
「鬼ごっこしようよ。僕たち待ってるよ。」
ブランコの下に落ちた瞬間、暗闇が彼を覆った。冷たく湿った感触が皮膚に染み込み、目を開けても何も見えない。だが、その暗闇の中で、無数の手が彼を触れ、掴み、引きずり込んでいく。触れられるたび、冷たい指先が彼の体温を奪っていくようだった。
「もう逃げられないよ…」
頭の中に響く声は、子供のようでありながら、その無邪気さが一層不気味に感じられた。彼はもがこうとしたが、指はなく、力も出ない。手は失われていた。いつの間にか、自分自身すらも失っていくような感覚に襲われる。
次の瞬間、視界が一瞬だけ明るくなった。目の前に広がっていたのは、見慣れたはずの街並み。しかし、それはもはや現実のものではなかった。建物はねじれ、道路はまるで鏡のように反射して歪んでいる。そこに立つ子供たちは頭が無く、ブラウン菅テレビを抱えたまま無言でこちらを見つめていた。
「私は君を待ってたんだ。ずっと。」
公園から声がした。一人の少女が大きな卵を抱えブランコに乗りながら話しかけてくる。その顔には表情がなく、ただ薄暗い瞳だけがこちらを捉えている。
「ここでずっと遊ぼうよ。もうどこにも行けないんだから。」
その言葉に、彼は身体が震えた。逃げようとする意思はあったが、もう体は動かない。指もない、力もない。そして、自分がどこにいるのかすらわからない。
「君はもう一人じゃないよ。私がいるから。」
彼女の持つ卵から漏れ出る光が彼の瞳を照らした。
「君はこれから人を殺すの。でも大丈夫、私が守るから。」
路地裏に立ち尽くす主人公。彼の指先は彼の指人形と共に切れるように落ちた。それと同時に少女の首が落ちた。少女は死んだ。冷たくなった。みんなが彼を見る。まだ幼い子供だった。悪意はなかった。ただ、気づくと此処にいただけだった。当惑した。取り返しのつかないことをしてしまった。何が起こったのか分からなかった。
目の前に立っていた少女は、もう動かない。彼女の瞳は閉じられ、まるで眠っているかのようだが、その胸には二度と息を吸うことのない静けさが漂っている。
「これは夢…」彼は呟いたが、目の前の光景が現実として彼の肩を重く押さえつけた。
その時、周囲の子供たちが静かに彼の元へ集まってきた。紙袋を被った彼らは無言で主人公を取り囲んでいた。その小さな手にはおもちゃのギターが握られており、彼らの瞳に宿る感情は何もない。ただじっと彼を見つめるだけだった。
「僕は、間違えたんだ…」彼は震える声で言った。「でも…もう戻れない…」彼の目にはいつかの景色が重なっているようにも思えた。
その瞬間、目の前の少女がかすかに動いた。彼は一瞬、目を疑った。確かに死んでしまったはずの彼女が、ゆっくりと瞼を開き、こちらを見ていた。
「許されるのを、待っているの?」少女の声は静かで、それでも彼の心に深く響いた。「私たちはみんな、貴方が間違えたことを知ってるの。でも、神様はいつも見てる。貴方が何をしたのか、全部知ってる。」
「いったい、どういう…」主人公は問いかけるが、言葉が続かなかった。
子供たちは笑い始めた。彼の周りを取り囲み、指人形を見せびらかしながら、壊れたおもちゃのように踊り出した。その踊りは狂気に満ちており、音楽のリズムも異常だった。ギターの弦が切れるたびに、現実がさらに歪んでいくように感じた。
彼は再び目を閉じた。暗闇に飲み込まれながら、ただ一つの考えに囚われる。
「戻れない…」
もはや、どれだけもがこうとも、この場所から逃れることはできない。ここは彼の終着点であり、すべてを失った後に残された唯一の場所だった。
少女らは何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し言った。囁くように、時には叫ぶように。
何度も言った。
「神様が私たちを見ているよ。」