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適応障害と僕の2209日 -僕の自傷行為-

自己紹介

こんにちは、「きゃん」といいます!

僕は小学6年生の2月から高校3年生まで
適応障害、強迫性障害でした。

そんな僕も、今では小学校の先生として人並み、
いや、それ以上の幸せな日々を送っています。

教員として働く中で、精神的に体調を崩している子どもや、その子どもへの接し方に悩む保護者と何度も関わってきました。 

そこで、自分の経験を伝えることが、
誰かの心を少し軽くするのではないかと思い、
こうして発信することにしました。 

僕の言葉のどれかが、
今、苦しんでいるあなたを
少しでも救うことができれば、嬉しく思います。


僕の自傷行為

「殺される」という不安はこれまでにないほど苦しい症状でした。

その不安は、まるで身体の中で風船が膨らんでいくような感覚で、どんどん大きくなり、破裂してしまいそうな恐怖を感じます。

この膨張する不安をどうにか解放したくて、僕は自傷行為を繰り返すようになりました。

前提として自傷行為は自殺のための行為ではなくて、生きるための行為です。抱えきれない、抑えきれない不安をどうにか対処するために選ぶ行動です。

だから、自傷行為をしている人から自傷という行為を取り上げることはしないでください。それは頑張って生きようとしていることを否定することに等しいからです。

当時の僕は「自傷行為」という言葉は知りません。また、それをしようと思っていたわけでもありません。

ただ、膨らみ続ける不安を取り除こうと無意識に起こした行動がいわゆる自傷行為と言われるものであっただけです。

きっと、ほとんどの自傷行為経験者がそうだと思います。
「なんかしてみた」→「なんか安心した」→「またしよう」と

僕がしていた自傷行為?は以下の通りです。
・頭を壁にぶつける
・不安を叫ぶ
・ハンガーで自分を殴る

これらの行為はどれも膨らみ続ける不安をなんとか抑えようとした結果です。

痛みを感じたり、不安をアウトプットしたり、モノを壊したりすることは、一瞬だけですが、その膨張した不安を一時的に軽減する方法でした。

自傷行為はもちろん、健康的な対処法ではありません。

しかし、その時の私は、どうしても不安をコントロールする手段が他に思いつかず、無意識に必死で自分を救おうとしていました。

今、振り返れば、その行動に頼らなくても、もっと良い方法があったのだと感じますが、当時はそれが精一杯だったのです。

今、自傷行為をしている人も、決してそれを続けたいわけではないと思います。ただ、それしか方法がわからないだけなのだと思います。

周りで支えている人が自傷行為を取り上げるのではなく、その人の全てを受け入れ、できるだけストレスや不安となるものを遠ざけることで、大きな力になると思います。


苦しみは、いつかあなたを豊かにしてくれます
だから今は無理にがんばらないで


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